2017年10月31日火曜日
カタカナ語好きの小池さん、「排除する」って何と言うの?
小池都知事と言えば、ことある毎に「カタカナ語」を交えて発言する。今回の選挙で大きな問題発言となっている「排除」「さらさら。。。。。」とは、カタカナ語では何というのでしょうか?マスコミ関係者からの質問に対しても「私は初めから日本語で。。。。」と述べたりし、質問した記者をバカにしている様,ば返答に感じた。即ち「私が日本語で言ってるのに理解出来ないの?」と言わんばかりである。私はこの言葉を聞いた時、「この人は何と横柄で思い上がりの強い人で、平気で人を馬鹿にしたり、下げすんだりする人なのか」と、彼女の人間性に疑問を持たずにはいられなかった。この様な思いや考えを持った人が、都政のトップとは「本当に東京都政は、都民に公平で、都民ファーストの都政運営など出来る大丈夫なのか?」と疑ってしまう。政治家にはこの様な思い上がりの人達が可なり沢山居るのだろうか?選挙の時だけぺこぺこと有権者のご機嫌取りをするけれど、いざ当選すると、威張って、我が物顔に振舞う政治家が多いが、もっと誠実で、謙虚に成れないのだろうか?貴方は如何思います?
2017年10月30日月曜日
小池氏は希望の党代表を辞めない?
この度の選挙で、小池百合子氏の不見識な言動で185人もの落選者を出しておきながら、「自分が党を創設した責任が有るので、希望の党代表は辞任しない」と述べ、多くの人々から、小池氏の人間性、政治家としての認識に疑問と批判を生じさせた。また多くの民進党員が「当選を夢見て」、希望の党に移党して立候補者たちは、残念ながら落選した。小池氏は当選者の50名と話し合いを持ち、その中で「党の代表を続投すべきと言う声が有った」と述べたが、当選者からすればその様に言うのは当然であろう。小池氏は落選者とは話合いは持たないの?話し合いを持たないなら、それこそ党の代表としては実に無責任、党代表者として不適任」と言わざるを得ないであろう。落選者は小池氏にとっては、もう何の価値も無いと言う事なのかな?希望の党には代表に成れる人材が居ないと言う事か?
2017年10月29日日曜日
小池都知事の「透明性」は嘘?
小池百合子東京都知事は、以前の東京都政を透明性の無い「ブラックボックス」と度々口にして非難してきた。そして「今後の東京都政は透明性を持った、都民第一主義」を選挙公約の様にして、都知事に当選した。しかし、今回の希望の党の発足以来、選挙で希望の党に所属して立候補した人々から、「小池さんには透明性など全くない」と、内情暴露的発言が相次いだ。中には「ブラックボックスは小池さん本人だ」とまで述べる人も結構いる事が分かった。「小池都知事は公平性に欠け、自分の好みの人、自分の言いなりに成る人を優先的に扱い、エコヒイキも甚だしい」「とにかく何でも自分の思い通りにしたがる人で、独裁的」と恨み節の如く、今迄知られなかった小池百合子氏の正体を暴露する人も多い。と言う事は今まで都民、国民、有権者に言ってきた「透明性」とは嘘なの?
2017年10月28日土曜日
小池百合子氏の「排除」発言には驚き
小池百合子氏は、民進党から希望の党への入党を希望する議員に対し、「全員の受け入れはせず、排除する.....」とか何とか発言した事に、多くの日本国民は呆れ、びっくりした様だ。私はこの小池氏の発言に対し思わず「貴方は何様ですか?」「どれ程偉いと思っているの?」「東京都知事選で、多少人気を得たからと言って、奢り高ぶりを超えて、自惚れているんじゃない?」と感じた。非常識にも都政をつかさどる知事が、軽々に人を排除するなど、人を愚弄する様な言葉を発する事に疑問を持たない事に、私は呆れ果てた。小池氏の本性、本音が出たのだろうが、「貴方もそのうち東京都民や日本国民から排除される日が来るんじゃないの?」と思った。それにしても「小池東京都知事と言う人はどれ程偉い人間なんでしょうか?」昔の言葉に「馬鹿で能力の無い人間は、自分の能力の無さを隠す為に、大風呂敷を大声でわめく」と言いますが............如何なんでしょうか?
2017年10月27日金曜日
希望の党の完敗に 乾杯?
この度の選挙で、自民党は希望の党の人気の高さにちょっと心配した様だが、選挙結果を見ると、希望の党は敗北の党となり、希望の党の代表の小池百合子氏も「完敗」を宣言した。この代表の完敗宣言に、自民、公明党は大勝利に乾杯したことであろう。一時希望の党は、今回の選挙で「過半数を超える議席獲得を」と張り切っていたが、結局賢い有権者が「希望の党は中味が無いし、素人集団であり、自分の事しか考えない政治家集団で信用出来ない」と見極め、投票を控えた為、希望の党は無残にも惨敗し、無残な結果に終わった。この結果は当然と言えば当然の事。有権者は「希望の党は一体どのような政治家集団?何をしようとしているの?何が出来るの?何も出来ないでしょう」と疑問ばかり残った様だ。今後の希望の党はどうなるか分からないが、それ程希望は持てない集団ではないの?多くの評論家は、「この党は内部闘争、し分裂してバラバラに成るでしょう」と辛口コメントを出している。
2017年10月26日木曜日
立憲民主党は強かった
民進党が崩壊し、希望の党に流れて政治家としての生き残りを夢見ていた政治家は、見事に落選。政治哲学、政治理念と常識を持つ政治家なら、私利私欲の為に日替わりランチや日替わり定食じゃないのだから、この様な腰軽政治家が当選しても日本の為にはならないし、この結果は当然であろう。民進党を離れず、立憲民主党を立ち上げ、希望の党に合流せず無所属で立候補した人達は、当選。希望の党に流れなかった立候補者を有権者は「政治哲学、政治理念を持った、シッカリした政治家」と評価して、当選させたのだろう。有権者の中には「小池百合子氏は、只有名になりたい、人気者になりたい、目立つ存在で居たい、自分の言う事を聞く人だけを集めたい、親分になりたいだけの人で、実質的な政治力、手腕、政治哲学も理念も無い、我儘放題の人で、いつに横柄だよ」と結構評判が悪い。今回希望の党の名のもとに立候補して落選して、政治家としての屍になった185名は、「小池氏は詐欺だし、人間性を信じられない」と述べる人も居た。希望の党は存続維持が永続できるのか?もう既に「分離して、それ程長く持たないだろう」と述べる評論家も多い。
2017年10月25日水曜日
政権交代、打倒安倍総理?
今回の選挙で、野党は「政権交代」「打倒安倍総理」と選挙期間中、立候補者は連呼していた。何を言おうが自由であるが、この様に「打倒安倍総理」と言ってる候補者、政党が政権運営をするだけの人材、能力、実績、政治理念、政策を有しているかと言えば、その様な人材は全く見られず、ただ「政権交代、打倒安倍総理と吠えているだけ」としか感じられなかった。政権交代、打倒安倍総理などと連呼するより、もっと中味のある、国民を感心させる様な選挙演説、政策、理念、選挙運動は出来ないものかと、実に野党立候補者の無能さにがっかり。この程度の政治家なら落選し、野党が惨敗するのは当然だろう。
2017年10月24日火曜日
希望の党、惨めな敗北
この度の選挙で希望の党は、当初過半数越えの当選者を期待して多数の立候補者を立て、更に民主党からの離脱者を巻き込んで、選挙戦を戦ったが、いざ結果を見ると悲惨な「敗北の党」になってしまった様だ。有権者も中々賢い選択をしたようで、「自分第一主義の政治家が、当選する為なら人気のある集団のもとへ」と意気込んでいったが、この様な政治家もことごとく落選。この結果は当然と言えば当然で、希望の党からの立候補者選挙演説を聞いていても、素人集団の集まりの様で、政治家としての哲学、理念、能力、実行力など全く感じられず、「当選したいだけで希望の党から立候補しただけ」としか聞こえなかった。この様な候補者が当選して、日本の国政を握ったら日本は終わりになると有権者は賢い選択をしたと言う事であろう。選挙は人気投票じゃないからね。
2017年10月23日月曜日
選挙で国民は何を期待している?
今日は選挙日であるが、国民はこの選挙で何を期待して居るのだろう?選挙結果よりむしろ今来ている台風被害の方が心配で、何も被害が無く台風が通過してくれる事を期待しているのでは?中には選挙で誰が当選し、どの党が勝利したかなど、如何でも良いと言う人の方が多い様だ。その理由は、台風被害は時に人の命、財産など大事なものを壊滅状態にする恐ろしい物であるが、選挙結果や政治家は、自分の為には何でもするが、国民の為に何もしてくれないと、全く信用して居ないからであろう。日本の政治、政治家は残念ながら、最早国民には信用されていない様だ。
2017年10月22日日曜日
いよいよ今日は選挙か
今回の選挙は如何なる事やら。選挙前には民進党が解体し、希望の党に流れる「自分第一主義の政治家」に多くの有権者は失望している。「国民、県民、市民の為、こくk民ファースト、ユリのミックス」などと選挙運動で述べているが、一体政治家は何を考えているのだろう。実際は「自分の為だろう」と多くの有権者は感じ、政治家などほとんど信用して居ない。最終的な選挙結果はどうなるかは不明だが、有権者はどの党がどうなろうと、自分たちの生活には殆ど関係ないだろうと失望感と諦め気分の様だ。一生懸命張り切っているのは選挙立候補者だけの様で、何ともトンチンカンな選挙の様だ。
2017年10月21日土曜日
無謀危険運転する者=バカ殿
最近あおり運転、危険運転、無謀運転で逮捕される運転手が多くなっている事が報道されているが、大変結構な事と言えよう。この様な危険無謀運転するような運転手は、他の安全運転をする人たちにとって、実に迷惑で、常に恐怖感も与えてる為,警察には是非一日も早く根絶つして欲しいと願う人は多い事だろう。そもそもあおり運転、危険運転、暴走運転で他人に迷惑、危険、恐怖感を掛けている事も顧みず、自己満足や欲求不満の解消として、この様な行為は決して許される事ではない。この様な危険行為は他人のみならず自分にとっても危険である事が理解出来ないのだろうか?公共の道路を自分だけの道路と殿様気分とでも考えてこの様な運転をするのだろうか?もしそうなら、その様な愚か者は「バカ殿」としか言いようが無い。
2017年10月20日金曜日
あおり、無謀、走行妨害運転する者は...
一般道路や高速道路に関わらず危険運転、無謀運転や走行妨害をする運転手を時々見受ける。いかなる理由からこの様な危険運転をするのか分からないが、殆どの場合、正当な理由も無い、実に詰らない、下らない個人的な感情的な理由で、この様な危険運転をしてるようだ。自分の車を追い越した、割り込んだ、脅かしてやろう、からかってやろう、いちゃもん付けて金を脅し取ろうなどと言う、実に馬鹿げた事で危険運転をしている。何と愚かな連中だろう。自分を何様と思っているのだろうか?道路は自分の為にだけあるとでも思っているのだろうか?この様な愚か者は、警察がシッカリ取り締まり厳罰に処して欲しい。また一般市民も、この様な無謀運転、危険運転をする愚か者が居たら、即刻警察に通報して、この様な馬鹿な連中が絶滅するよう協力する必要もありそうだ。
2017年10月19日木曜日
日本も悪者がやりたい放題の国に?
日本では「正直者は馬鹿を見る」と言う国になりつつある、と言うか、もうなっているかもしれない。悪質な訪問販売、振り込み詐欺、特殊詐欺など、あの手この手で善良な市民、高齢者を狙って、貴重な金、財産を奪ってしまう。警察もこれらの犯罪者を完全に排除できないでいる。犯罪者の巧妙さは警察の能力以上と言う事なのだろうか?もしそうであるなら、何と嘆かわしい日本に成り下がってしまったのだろうと考えざるを得ない。長年に渡り知能犯、悪質犯罪者が横行し、この種の犯罪が減少する傾向に無いが、警察はこれらの罪悪人を徹底的に捕獲し、国民が安全、安心して住める日本にはもう戻れないのだろうか?今や日本も「悪者、犯罪者が大手を振ってやり代放題、横行する恐ろしい国に落ちぶれてしまった」のだろうか?それにしても、最近は実に嘆かわしい犯罪が多すぎて、国民も安心して住めない国になっている。
2017年10月18日水曜日
無謀、危険運転で、金稼ぎ?
一般道路や高速道路上で、無謀、危険な運転をして、金を稼ごうとする者が、結構いるそうだ。例えば、高齢者の車をあおり運転で、恐怖感を与え、事故を起こさせたり、他の車の前に出て、急停車をして、わざと追突させて、医療費、損害賠償、車の修理代を請求するという手口だそうだ。昔のアタリヤ的犯罪である。警察に「前を走る車が急停車して追突させるよう仕組まれた」と説明しても、警察は「証拠が無いから、貴方の運転の未熟さ、前方不注意」と、相手にしてくれず、結局追突した者が悪者扱いで、高額な支払いをせざるを得なくしている。こんな無謀、危険運転で悪質な人間のやる事を、警察は見抜けなず、徹底的に調べる事なく、多くの被害者を出す事になる様な、悪質者を好き勝手にさせてい良いのだろうか?実に理不尽な世の中に成ったものだ。警察ももう少ししっかりして欲しい物だ。
2017年10月17日火曜日
若者の無謀な運転に恐怖感
一般道路や高速道路で、無謀運転をする若者が多く、大きな事故に繋がったり、ややもすると殺されるのではないかと思えるような恐怖感を感じる人が多い。無謀運転をしている若者は、自分のストレス発散、スピード運転を楽しんで居るのかもしれないが、同じ路上で交通規則を守り、安全運転をしている人々にとっては、実に迷惑で、この様な若者の無謀運転を警察はしっかり取り締まり、厳罰を与えて、絶滅させて欲しい物だ。若者の無謀運転は、若者の快楽や憂さ晴らし、ストレス発散と言うより、走る殺人鬼に思え、実に恐ろしい。警察は無謀運転する若者を一度捕まえたら、二度と運転免許証を発行せず、免許永久剥奪すべきと考えるが、如何でしょう。
2017年10月16日月曜日
あおり運転は殺人行為
この度、高速道路上のあおり運転で、追い越し車線に無理やり止まる事を強いられ、トラックに追突されて、夫妻が無くなったと言う事件が、大々的に報道された。あおり運転をした若者は、人の命を無残にも奪っておきながら、太々しく、何ら反省の様子も見られる事なく、平然と「自分があおられて、追い越し車線に止めさせられた」と自己弁護と言うか嘘を言った実に卑劣な人間である。この若者の神経と言うか人間性を疑い、当然この様な人間に育てた親の躾にも憤りを感じる。この若者の行為は、単なるあおり運転と言うより、殺人行為で、厳罰に処して、二度と平和な社会に出て来させない様にすべきと願うのは、良識を持つ人間なら誰もが思う事でろう。犯罪者は、如何なる犯罪を犯しても、厳罰に処するべきで、日本の罰則は甘すぎるのでは?
2017年10月15日日曜日
夜眠れない時、貴方は如何します?
私は頻繁に夜眠れない時が多いので、ぐっすり眠れるときはかなり疲れている時と考えている。誰もが良く眠れない夜が有ると思うが、そういう時は如何して居るのだろうと時々野次馬根性が沸き起こってくる。私はいたってあっけらかんと単純で、眠れない時には「眠く成ったら寝るだろう」と割り切って、無理して眠ろうとは努力しない。その時考えている事をそのまま考え続け、時には床を離れて起きてしまう事も多い。健康的ではないかもしれないが、これが私の人生スタイル、生き方や生活スタイルで、こんな怠惰な生活をもう何十年も続けている為、今更変える事は出来ない。貴方はよく眠れない時などありませんか?眠れない時は如何しますか?「羊が一匹、、、、」と数えますか?
2017年10月14日土曜日
貴方は毎晩よく眠れますか?
老若男女に関係なく、睡眠は実に大切で、睡眠不足から色々な病気、事故などを引き起こす大きな原因となる事も多い。自分は遅寝遅起きで眠れない多くの日々を過ごし、最近は高齢化のため睡眠不足の状況はさらに悪くなっている。全て自分の責任上の生活スタイルで、自分で選んだ人生、自己責任故、眠れる人を羨ましいとは思わないが、皆さん規則正しい生活と就寝、起床を守って、日々健康的な生活を送っているんだろうと想像するが、貴方は毎日よく眠れてますか?適切な睡眠は本当に大事だと思います。
2017年10月13日金曜日
毎日睡眠不足気味
高齢化するにつれ、夜眠れなくなるという話をよく聞くが、私も高齢故、毎晩よく眠れないのだろうか?私は若い頃から、遅寝遅起きの完全な夜型人間故、寝るのが毎晩午前一時過ぎで、今でもこの生活スタイルは全く変わっていない。必要が有る時は朝も決められた時間に起きるが、特に用事、予定が無い場合は目が覚めるまで寝ている、実に怠惰な人間、生活である。最近はいつもの様に午前一時過ぎに床に入るが、眠ろうと思っても、頭がバッチリさえわたり、次から次へと考え事が出て来て、脳が完全に覚醒してしまう。結局一睡もできないまま朝を迎える事が多いが、自己管理と自己調整が出来ていない自分の責任だから仕方がない。今夜も眠れないかなー?
2017年10月12日木曜日
人間は欲の塊
「人間は欲の塊で、欲を無限に求めたがる生き物である」と言われている。確かにこの言葉は人間の欲や醜さを表しているかもしれない。人間の物欲初め、何でも自分の思い通りになる事を求めたがるようだ。多くの人が自分に与えられた運命を認めず、「永遠に若く、病気もせず、幸せに長生きしたい」と望むのも、欲の表れであろう。永遠の生命など、この世に生存する生物には不可能と分っていても、何故か求めたがり、その欲が満たされなければ、その欲に対して未練がましく追い求める。また、一つの欲が満たされれば、次の欲を求めたがり、キリがない様だが、これは人間のサガでしょうか?
2017年10月11日水曜日
今の日本は危険だらけ
いつの世も安心、安全、健康で平穏なな日々を過ごせるなら、いつまでも長生きしたいと望む人は多いであろう。しかし今の日本は、全ての人にも、そこら中に危険要因が多く、いつ、何処で、どの様な理由で死を迎えるか分からないと言えよう。勿論突発的な病気によるもの、事件や事故の被害者になる事、他人の迷惑を考えない自己中心の狂人による襲撃、自然災害など、我が身、わが命を脅かすものは山積している。この様な中で健康で何ら問題も無く長寿を全うする事は、本当にその人の持つ運命としか言いようが無いのでは?
2017年10月10日火曜日
私と同じ老人の共通話題
高齢化した私が、知人、友人に会えば、大体いつも共通の話題が出てくる。それは「今の健康状態、通院、服用している薬、死ぬ時はポックリ死にたい」等と、あまり明るい話題ではない。私も人の話も、今後の自分の参考にと、その話題を遮る事も無く、聞く事が多い。私の友達、知人も「自分の人生や生命に対し、割り切りが出来ている」と言う感じで有るが、そういう意味では「人生、生命、寿命、死」に対し結構さっぱりとしているので、話も聞きやすい。私は自分の友達にはいつも「残された人生、時間をどの様に過ごし、自分らしく生きるか」を尋ね、その人の考え方に耳を傾ける事を楽しみにしている。
2017年10月9日月曜日
病気になる要因が満載
年を重ねるにつれ、体の諸臓器や器官も摩耗、疲れ、老化し、病気になりがちになる事は、自然の摂理故、幾ら健康に留意しても、防止できない事が多い。年を取れば臓器機能の低下により、心筋梗塞、脳梗塞、血栓初め、数多くの病気を引き起こす可能性も高い。こういう観点からすれば、自分は何時、何処で、如何いう原因で、突然あの世に旅立つ事になるかもしれない事は覚悟している。そういう意味では、一分一秒、一日一日が大変重要で価値のあるものになると考えて、日々を過ごしているつもりである。「我が身にいつ、何が起ころうとも、我が人生に悔いなし、今まで生きれた事に感謝」と言う思いで、最後の時を迎えたいと考えている。人生何事も考え方次第では?
2017年10月8日日曜日
健康に悪い事ばかりしている自分
老齢化には勝てない自分でありながら、日々の生活を振り返ってみれば、決して健康管理がシッカリ出来ているとは言えない様な気がする。どちらかと言えば、自分の健康に悪い事ばかりしている気さえする。例えば、タバコを吸う、酒を飲む、夜更かしをする、不規則で偏食の多い食事、睡眠不足、遅寝遅起きの生活など、どれをとっても褒められるような物は無く、これで健康な自分を望むのは余りにも虫が良すぎる。この様な生活であれば、当然長生きなど望むべくもなく、これで命を失えば、自業自得としか言いようも無いし、自分でも後悔する事は無いし、全て自己責任ゆえ、如何こう言う資格も無いと割り切っている。只運命、天命を待つを受け入れるのみである。
2017年10月7日土曜日
若者も老人も夫々に共通話題が有る
若者は若者なりに、年相応の話題が有り、友人関係で会話を楽しむ。老人も老人なりにお互いに会えばそれなりに共通話題が有るものだ。とかく若者は夢と希望に満ち溢れた、将来の展望や異性、結婚、仕事などが主要な話題で活気が有り、頼もしい感じであるが、老人は多くの場合、健康、服用している薬、若者に対する愚痴、病気や知人友人が亡くなったとか、若者の話題の様に比べると、発展性があまりなく、活気が感じられない。私も一人の老人として、日々一人での生活、友人、知人との語らい、庭の草むしりや家庭菜園などをしながら、人生を楽しんで居る。正に我が人生万歳である。一人で生活したり、作業をしている時は、禅の修行と同じで、我が人生を振り返り、考えながら有意義で楽しい時間を過ごしている。人と語るも、独りで居る時も、それなりに楽しい物が多々ある物であるが、貴方は日々どんな時間を過ごしてますか?
2017年10月6日金曜日
私は「昔若僧、今老人」
人間は如何に科学や医療技術が進歩しようとも、永遠に生きる事は不可能である。医療の研究、施設、技術、薬品の発展と共に、人間の寿命が長くなって来ている事は事実であるが、私は永遠に生きたいとは思わない。また心身共に健康で他人の世話にもならず自立して生きられるならまだしも、他人の世話になり、心配や迷惑を掛けながらまで長寿は望まない。私も昔は若僧で、ひたすら仕事や自分のやりたい事を探して、必死に生きて来たように思う。今はすっかり老人になり、老人なりに与えらえた命を十分楽しみながら生きている。今後何年心身共に、他人に迷惑を掛ける事なく生きられるか分からないが、いつ何らかの出来事で、あの世に旅立つ日まで、一日一日を大切に自分の納得の行く生き方を進めたいと思っている。
2017年10月5日木曜日
私は体力の衰えには勝てません
私は年々年を重ねるたびに、自分の老齢化による体力の衰えを日々感じており、「年寄りは年寄りなりに、年相応に生きれば良し」と割り切っている。外面的に若返りで装いをしたとしても、身体は正直で、年寄りは行動の一挙手一投足に現れ、見ればすぐわかる事である。わたしは外面的な若返りの装いは自己満足で、何ら意味も価値も無い」と考え、自然の摂理に反して、無駄な抵抗をするつもりは全くない。只幾ら年をとっても、いつも自分の意見は明確に表明し、他人から人間的な魅力や精神的な刺激を受け、もし自分の意見や考え方や助言が他人の助けに成れるなら、これ以上幸せな事は無いと考えて、これからも生きて行きたいと考えている。
2017年10月4日水曜日
私は死して何を残すのだろう?
人は死して名を遺す?」などと昔から言われ、故人はそれなりに何かを残していたのだろう。この問いを自分に振り向け「私は死して何を残すのだろう」と考えた時、残念ながら何も残す事は出来ない様だ。残す物と言えば、遺品の整理で全部捨てる様な物ばかりで、息子家族に迷惑を掛ける事になるのを申し訳なく思っている。人はこの世を去って、我が子に何か価値の有る物を残せればよいのだろうし、多くの人はしっかりと素晴らしい物を残しているかもしれないが、私は何も残す事は出来ず、只この地で我が人生を過ごしたという証だけかな。我が息子家族も、私が何かを残す事など期待して居ないだろうし、今後もしっかりと自力で力強く生きて行く力と能力を十分持ち合わせているだろうと信じている。貴方は何を残せますか?
2017年10月3日火曜日
毎晩寝る時に考える事
私の毎日はこれと言って特別な事が有る訳ではないが、日々何気なく過ごし、床に就く時間になると、「さて、今日も一日が終わろうとしているが、そろそろ寝るか」と言って床に就く。床についても私は老人故、中々眠りにつかない事が多い。私が毎日床について考える事は「明日も目を覚ますだろうか?=いつでも死を迎えられる」と考え、「明日も目を覚ませるだろうか=生きる事への願望と執着」を考える事はない。私自身もう長年人生を充分過ごしてきており、「これ以上、これからも」と言う生きる事への願望や執着はそれ程強くない様だ。今まで充分自分のやりたい事は実行し、自分の人生にそれなりに満足している為、いつでも死を迎える事に未練も抵抗も無い。「親から授けられた命と運命故、自分の命を自分の手で終わりにする事は許されない為、残された日々を、一日一日を大切に過ごす事が親への礼節であろう」と毎晩考えながら、眠りに入るのである。
貴方は床に就くとき何を考えてますか?
貴方は床に就くとき何を考えてますか?
2017年10月2日月曜日
人生100歳時代?
最近、「今後の日本は人生100歳時代となる」と言う言葉をよく聞くようになったが、この言葉を発する人は何を考えて言っているのだろう?と疑問が拭えない。確かに医療技術、医療機器や設備が年々進化し「苦痛の無い医療行為」を病院など医療施設では、日々努力貢献し、大変素晴らしい事である。しかし、人生100歳時代と言っても、心身共に健全で、独りで普通の生活を過ごせるなら、大変価値のあるものと言えよう。しかし、生命維持装置、延命装置、自分の親族も認識できない、常に他人の手を借りる必要が有ったり、介護や補助を必要とする状態で、人生100歳時代は如何なんだろう。だた長寿だけで良いのだろうか?私は心身共に正常な状態を維持できな状態、日常生活を自分で処理できないのであるなら、尊厳死、安楽死を望みたいと考えているが、貴方は如何ですか?私は長く生きる事より、どう生きるかを重視し生きて行きたいと考えている。
2017年10月1日日曜日
自分への困難は全て受け入れる
人生長い事やってい居ると、多かれ少なかれ何らかのトラブル、困難、諸問題が起こる。仏教界で言う四苦(生きる、病気、老いる、死の苦しみ)は、全ての人間に与えられた試練、運命である為、誰もがそれらを受け入れながら、知恵を働かせたり、友達や家族に相談しながら、問題を解決しようと生きている訳である。私も如何なる困難、問題、トラブル、病気、苦難であっても「これが我が運命、試練、経験」として、受け入れ対処する事にしている。人間の能力は素晴らしい物で、自分で対処、問題解決をしようという積極的、プラス思考の姿勢が有れば、殆どの事は処理出来るものである。ただ注意すべきは、諸問題、苦難、困難に接した時に、マイナス思考ではなく、プラス思考で問題解決法を考える事が大事なような気がする。貴方は如何思います?