2018年9月30日日曜日
「神様助けて」と言うけれど
神や仏の存在を信じ、宗教に身を投じるか否かに関係なく、人間が究極のどん底に陥り、生命の危機を感じた時、思わず「神様助けて」と発する人は多いそうだ。「神様は本当に助けてくれるのか?」と問われて、「神が助けてくれる」と思っている人は殆ど居ないか、実に少ない様だ。本来、神とか仏や宗教は偶像崇拝ゆえ、人間の危機を直接救ってくれる筈がない事は、誰もが周知の事だが、何故か「神様助けて」と言う人が多いのは何故だろう?それにしても「仏様助けて」と言う人は少ないと言う人が殆どいないのは何故だろう?「神様助けて」と言って、本当に助かるなら、目標に向かって努力する人は、この世から居なくなるだろうな~。
2018年9月29日土曜日
台風24号、荒れ狂い、また大被害か?
台風24号が今日には九州最接近し、その後日本を縦断するという予報が出ている。年々台風の威力は強化され、台風が来る度、あちらこちらで大被害を生み出している。今回の24号も強力な威力を保ちながら移動をし、あちらこちらで大被害を生み出す可能性を秘めている様だ。多くの人が、「今度の台風はどれ程強力で、どんな被害が出るのだろう、自分の住んでいる所は大丈夫だろうか」と、恐怖感と不安感が強いようだ。今回の台風は雨、風がひどいらしく、荒れ狂いながら日本を縦断し、大被害が出そうだが、個人が対策をとるにも大した事も出来ず、指をくわえて、台風の過ぎ去るのを待つしかないのだろうか?科学技術がどれ程発展しても、自然の猛威には、手も足も出ない人間の弱さを露呈している様だ。
2018年9月28日金曜日
富田林の逃亡犯は如何なった?
富田林で犯罪者の逃亡事件が起こって、かなりの時間が経つが、最近ではこのニュースを殆ど聞かなくなったが、如何なったのだろう?犯人はもう捕まったのかな?それともまだ捕獲されず、逃げ回っているのだろうか?もう既に捕まっていれば、住民は安心して日々を過ごせるだろうが、まだ逃亡を続けいているなら、住民は不安の毎日に違いない。ひと頃報道関係初め、警察でも大騒ぎしていた逃亡事件だが、最近では全く報道されないので、一寸その結果が気に成った次第である。もしも、未だ逃亡犯が捕まっていなければ、警察の大失態は、残念ながら、永遠の語り草に成る事だろう。
2018年9月27日木曜日
老化するとリズムが上手く取れない?
日々、事ある毎に自分の老化を感じているが、ここ最近、音楽のリズムに合わせ、手拍子ないし足でリズムをとる実験をして見た。ゆっくりのテンポなら、音楽に合わせて、リズムを取り続ける事が出来る。しかし、結構テンポが速くなると、初めの数分は何とか音に合わせてリズムをとる事が出いるるが、時間が経つにつれリズムが狂い始める。「ハハ~ン、これも自分の老化の兆候だな~」と自己納得してしまう。日々訓練して居れば、リズムに合わせて手拍子を打ち続ける事が出来るのだろうが、急にこの実験をしてみると、何度も調子が外れてくる。皆さんはこんな実験をして見た事ありますか?私はこの実験を自分の老化のバロメーターの一つにしています。
2018年9月26日水曜日
ラジオvsテレビ
近年文字離れと共に、テレビ離れが進んでいると言われているが、その真意のほどは良く分から無いが、文字離れは確実に進んでいると実感している。私はラジオ愛好者で、テレビは全く見ないし、見たいとも思わない。ラジオは何か仕事や作業をしながら、種々の情報、ニュースを知る事が出来るが、テレビは「~ながら行動は難しい」。ラジオを聞いていても(おそらくテレビでも同様だろうが)、若いキャスターと言うか放送担当者が「キャッキャ、ピッピー」と、うるさく、騒音にしか聞こえな事も多い。でも、これも彼等の仕事の関係上、視聴率を高める為の演出上やむを得ない事なのかもしれないと、許容範囲内に置いて聞く。時には、余りにも耳障りで、スイッチを切って静寂の一時を楽しむ様にしている私は、へそ曲がりと言うか、アマノジャクかもしれない。皆さんはラジオ派、それともテレビ派?
2018年9月25日火曜日
怒りも喜びも無いのは何故?
年金生活に入ってから、世の中の変動、出来事に、特別な心の変化を感じる事が少なくなってきたように感じるが、これは老化現象かもしれないと感じている。日々の生活でも、種々雑多の報道に接しても、怒り、喜び、感動、悲しみも「へ~」「あら、そーなの」程度で、特別の感情の変化を感じなくなってしまったように感じる。日々ラジオから流れる諸々の事柄も、単に聞き流すだけで、落語、漫才、コミカルなものを聞いても「こんな事で、何がおかしい、笑えるのだろう、何がおかしいのだろう?」と、結構冷ややかな自分を感じている。基本的にテレビは見ないので、いわゆる「バラエティー」も「馬鹿エティ
ゃないの?」と笑う所か、余りにもクダラナサで、幻滅と嫌悪感さえ覚えてしまうが、これも老齢化に依る、根性がひねくれてしまったのかと考えてしまうこの頃である。
ゃないの?」と笑う所か、余りにもクダラナサで、幻滅と嫌悪感さえ覚えてしまうが、これも老齢化に依る、根性がひねくれてしまったのかと考えてしまうこの頃である。
2018年9月24日月曜日
老齢化すると、喜怒哀楽表現が激減する?
喜怒哀楽の表現は、人間としての特徴であり、人間としての特権かもしない。しかし、老齢化する事により、この喜怒哀楽の表現が激減する様である。何歳を老齢化と言うかは、人夫々によって異なると思うが、凡そ60歳を超える頃から、この喜怒哀楽の表現が減退し、年と共に、物事の変化に動じなくなり、「へ~」「あら~、そうなの~」程度で物事を処理する様になるようだ。美しい物、景色を見た来、何か珍しい物を見ても、何ら感嘆、感動する事も無く、そのまま「あ~そういう物が有るんだ」と、そのまま受け入れ、感激する事も無く、当然、笑顔や喜びもそれ程無くなる様だ。喜怒哀楽を感じられる事は、若さの証拠、人間として生きている証拠かもしれない。貴方はどの程度、自分の喜怒哀楽の表現を感じてますか?
2018年9月23日日曜日
もうクリスマス、おせち料理の話?
月日の経つのは本当に早いと感じているが、ラジオやテレビでは、もう既にクリスマスやおせち料理の販売に関する宣伝が開始されている。少しでも早く宣伝を開始して、少しでも多くの売り上げを得、他社との競争に勝とうとする気持ちは分かるが、もうそんな時期なのかと、ビックリである。ついこの前、今年のお正月を迎えたかと思えば、既に九月も半ばを過ぎ、今年の残りの月日を数える様になったかと、時間の流れの速さを痛感する日々である。今年の残された日々を有意義に過ごさなければと気持ちを新たにする今日この頃である。私にとって、クリスマスもおせち料理は如何でも良い話であるが、商売をする人々にとっては大事な話なのかな~?
2018年9月22日土曜日
視力、体力の低下、老齢化だね
ここ数年、何となく視力の低下を感じている。老齢化の為、体力の低下は勿論の事、視力の低下を感じ、身体全体に機能退化が来ていると痛切に感じずにはいられない。自然の摂理、成り行き故、全てあるがままに受け入れているが、親から授けられた命ゆえ、生きている限りは、何らかの対策を取り、日々の生活に支障の無い様に、体調管理をするのも自分の責任。無い知恵を絞りながら、体力の維持、減退防止、精神的な刺激を与え、脳の老化と機能低下防止策を考えながら、日々を過ごす毎日。しかし、これらの事を考えながら日々過ごすのも、脳が機能している事ゆえ、これまた楽しい事、幸せな事なのかもしれない。
2018年9月21日金曜日
何気ない一言が、心を傷つける
子供同士の会話を、何気なく聞いていると、実に残酷な言葉が時折出てくる。勿論子供ゆえ、悪意が有って、相手を責め様と、意図的にしているのではなく、思いついたまま、素直に自分の気持ちや感じたまま、発話しているのであろうが、大人が聞けば、可なり強烈で、相手の心を傷つけると感じる事が多い。この何気ない言葉は、時として聞く側の純粋な心を傷つけ、自信喪失に追い込む攻撃的になる事も有る様に感じる事も多い。良識ある大人なら、穏やかに意思疎通を図る道具としての言葉も、相手の心を傷つけないよう配慮して発話する必要、気ずかいを可なり求められると感じ入った次第である。
2018年9月20日木曜日
2018年9月19日水曜日
「どうも身体が思うように動かない」
日々の生活を送る中、気力では「これをしなければ」と思いつつも、身体がだるく、思う様に動かない事が多くなってきた。年のせいと言えばそれで処理出来る事かもしれあないが、これで納得する事は自分では出来ず、「自分の精神的な怠慢」と罪悪感を感じる事が多い。高齢に成っても日々一時間程度は、極力外での作業を実施したい物であるが、体力の低下であろうか、思う様に身体が動かず、ついつい「今日は休息の日として、明日頑張るか」と怠慢な考えが浮かんで、自己納得をして、許してしまう。我ながら「自分に甘いな~」と思いながら、ついつい怠慢、堕落を許してしまう自分との葛藤の日々が続く。
2018年9月18日火曜日
今日も一日良い日だったな~」と言えるかな?
私は日々の生活で、スケジュールをノートに記入し、前日に明日の予定を確認し、計画した事は、すべてその日の内に完了する様にしている。全て予定通り完了し、取り残しの無い様に過ごせた日は「今日は良い一日で、充実していた」と納得感と達成感を感じる事が出来る。本来なら「今日も良い日だった」と言いたい所であるが、野暮用が出来て、予定をすべて処理出来ない日も多々あり、虚しさを感じる事もある。毎日全て予定をこなす事が出来た日は「今日は良い日を過ごせた」と成り、毎日「今日も~~~」とは中々いかない。貴方は「今日は~~~」ですか、それとも{今日も~~~」ですか?
2018年9月17日月曜日
授業妨害をする生徒を如何扱っている?
「今年の生徒は荒れていて、落ち着いて勉強が出来ない」等と言う話を度々聞く。その時話に出るのは、必ずと言って良いほど「先生が、授業を妨害する生徒を、しっかり管理指導が出来ていない」と、生徒お親も、半ば諦めたような口調である。「授業を妨害する生徒が、落ち着くまで待つしかない」「先生に何とかして欲しいけど、、、」等と、成り行き任せと学校の指導に期待を決め込む事が多い。実際問題、「学校ではこのような授業妨害生徒をどの様に指導し、対処して居るのだろう」と疑問が湧く。また、授業妨害をする生徒の親も、それなりに「我が子が学校で授業妨害をしているかもしれない」程度の事を気ずいている事が多い。いずれにせよ「まじめに、真剣に勉強しようと学校に通っている生徒も居るのだから、学校も親も、この様な迷惑学生をしっかり管理監督、指導、対処をして欲しいものだ。アメリカの場合「授業妨害生は、姿勢が改善されないが切り、登校禁止処分に成る」と言う事実を、日本の学校は参考にしても良いのでは?
2018年9月16日日曜日
暴力的な生徒をどう指導してる?
学校では、必ずと言って良いほど、暴力的な生徒が存在し、周りの生徒に迷惑かけている者が居る。この暴力的な生徒は、家、親、教師の前では実にいい子を装い、親は知らず「家の子は、おとなし、優しい、良い子ですよ。そんな暴力的な事はしない」と話す親が多い。学校も親も、とかく問題が起こってから気ずく事が多く、実際問題が起こっても、生徒の親は「信じがたい、そんな事する筈がない」と考え、中々認めたがらない様だ。実際に他人に対する暴力行為が判明しても「ごめんなさい、すみません」と一言誤れば、問題解決と、安易に考えている事が多い。暴力を振るわれた生徒本人や親にしてみれば「正に人権侵害、心の傷は深い」と感じ、こんな安易な謝罪では納得できない事が多い。暴力的な生徒と親を学校ではどの様に指導し、又この様な暴力的な子を持つ親は、どの様に指導、躾けているのだろうか?
2018年9月15日土曜日
いじめられたい者は居ない
学校でのいじめの問題は無くなる事は無い、深刻な問題である。一般的に「人間3人以上集まれば、いじめは存在する」と言われるが、学校の教育現場でも、この一般通説は存在するようだ。学校では気弱そうな子、おとなしい子などが標的に成ってイジメられるようだが、いじめは教師や大人に知られない様に、陰湿に何度も攻撃する物であり、学校や大人が「いじめられてる」と分る時には、相当深刻な状態に成っている時である。学校に行って「いじめられたい者」「いじめられて喜ぶもの」など全く存在しない。いじめはいわゆる人権侵害、人権排除の行為であるが、通常の場合、被害者、犠牲者のイジメられる者は学校に行けなくなり、加害者であるイジメる者が、のうのうと学校に楽しげに通っている。これは学校教育の中では、本末転倒と考えるが、学校ではどう考えて処理̪しているのだろう?
2018年9月14日金曜日
学校を恨む人たち?
世の中色々な人が居て、学校に対しても、色々な考えの人達がいる。学校や教師に感謝する人、学校を何の思いも感じも無い人、学校を迷惑と考える人、学校を恨んでいる人、本当に様々である。実際学校を恨んでいる人達は、「我が愛しい子を学校に行かせた為に、いじめやその他の理由で、死に追いやられた」と感じている親である。「いじめが有っても、学校や教育委員会もいじめを認めず、第三者委員会によって、いじめが認めれれる事が多く、学校、教師、教育委員会を対応のまずさ、誠意の無さ」に対して恨んでいる事が多い様だ。確かに、マスコミで「いじめによる自殺」が報道されれば、学校、教師、教育委員会の対応のまずさ、責任所在の不明確さ、誠意ある調査や謝罪など、余りにも酷いと感じられる事が多い。いじめで死に追いやられた親の殆どは、大衆やマスコミの前では口にはしないが、本心は「我が愛しい子供は、学校に行った為に殺された」と感じ、一生この心痛と怨念は消える事は無いと感じているそうだ。学校の存在意義は何?一人たりとも死に追いやる様な犠牲者を出してはいけない筈。
2018年9月13日木曜日
学校は選択制にして欲しい?
最近「学校嫌い」の子供たちが増えている様だ。親や教師には言えないが、子供の心は「学校に行く事を強制されたくない」と言う子も多い。小、中学校は義務教育である為、学校に行く事は強制されるが、高校は高等教育の為、「高校進学は自分の選択」と言う事に成っているが、日本の高校進学率、は、ほぼ100%である為、「高校に進学しなければ、世間の笑い者、恥ずかしい、親の面目もつぶれる」と、暗黙の了解のもとに高校へ行く事を、親からも強制されている様だ。学校に行くのは、どの様な目的で、何を勉強する又は勉強したいのか、自分の生き方、将来設計も無いまま、只学校通いをしている学生が多いのが現実の様だ。この様な事から、何気なく学校に行き、学校で時間を過ごし、勉強を強制され、ストレスを貯め、そのストレスを学校や親に知られない所で発散する事が、今の学生の日常生活と考えている者も少なくない。この様な事から、「学校は義務教育を含め、自分の将来の目的を考えて、自由選択にして欲しい」と願っている子供も多い現実を知る必要が有るのでは?
2018年9月12日水曜日
勉強は塾でするもの。学校は何する所?
親は我が子が学校に対して、どの様に考え、感じているか理解して居るのだろうか?最近の多くの子供たち、学生は「学校は部活をする所で、勉強は塾でするもの」と考えている様だ。学校では「いじめられないように」と、細心の注意を払い、神経を使いながら学校生活を送る為、「授業中落ち着いて、集中して、安全、安心して学習する場所とは程遠い」と感じている様だ。「塾の場合は、学校よりはるかに集中して、受験準備の為の勉強はできる」ので、「勉強は塾で、学校は部活をするか、塾に行って勉強する為に、寝るか体力を温存る所」と、ハッキリ区別し、割り切っている事を、親も学校も知っているのだろうか?もしこれが事実なら、学校の存在意義は一体何なのだろう?
2018年9月11日火曜日
学校は楽しくない?
夏休みも終え、学校が再開され、親は一様に喜んでいる様だ。一方、子供達は、喜んでいる者も居れば、学校へ行きたくない子供もいる。多くの子供たちの本心は、それ程、学校が楽しい所とは感じていないが、「学校楽しくない」と親に言えば怒られるし、心配をかけるから、とりあえず「学校は楽しい」と言ってる子も多いそうだ。多くの子供たちの本心は「学校なんて、ちっとも楽しくないし、行きたくも無い。ストレスが貯まるばかりだ」と感じている子は多いそうだ。その理由は、学校で勉強するのは良いけれど、遊んだり、授業の中で、グループ活動や試合などあって、失敗すると、色々な人から責められたり、文句を言われ、それがとっても嫌で、ストレスが貯まる」という子供たちが多い事を、学校も親も知る必要が有るのでは?学校はストレスを貯める場所では無いよね。
2018年9月10日月曜日
相手の出方次第で、自分も変わる」のが人間
人間の協力体制や友好関係は、全て相手の出方次第で、どの様にでも変わるものである。相手が友好的に出れば、自分も友好的に。、相手が敵対意識を持って接してくれば、自分も敵対意識を持って対処する者である。その判断や決定は、最初の何気ない会話で、相手の以意向、姿勢、考え方を読み取り、その後相手を評価し、自分の話し方、接し方、姿勢、行動を決めるものである。これは動物としての自己防衛反応から来るものであろう。まず、社交辞令的な会話で、相手の様子を観察し、自分にとって相手はどの様な存在かを判断し、以後の行動を決定するものである。これは人間以外の動物にも共通する事と言えるようだ。「魚心あれば水心」と言う諺通りの様だ。
2018年9月9日日曜日
トランプ理論=自分第一主義=自分至上主義
アメリカ大統領のトランプは、良し悪しに関わらず、日々マスコミで報道されない事は無い。トランプは「自分はこの世で一番優れた人間である」「この世は全て自分の思い通りに出来る」「自分の思い通りに成らなければ、自分が悪いのではなく、他人が悪い」と考える様で、正に人間本来(自分が一番大事)の生き方に即している。「権力、地位、立場を最大限に利用して、金と権力や脅しや如何なる手段を用いてでも、自分の思い通りに相手を利用する」と言うのがトランプ理論であり、「金と権力で相手は自分の思い通りに成る」「相手の立場は如何なろうと関係ない」と言う考え方である。人間は本来「何でも自分の思い通りにしたい」と言う願望が有り、「自分の思い通りに成らなければ、相手が悪い」と相手を責めたり、他の何かに責任転嫁する傾向にあり、自分を反省する事が少ない。リップサービスで「きれいごと」を言っても、本心は全く別の所にあるのが人間の本来の姿の様だ。「トランプは、人間としての品格も無いし、下品で能力も無い」と世界中の多くの人が考え、嫌っている様だ。
2018年9月8日土曜日
パワハラを許すな?
最近パワハラ、セクハラ報道が多いが、特にパワハラは目立っている様だ。所謂「権力は力なり」「組織の権力に個人は勝てぬ」「権力には権力て対抗するしかないので、個人は対抗する力も無く、服従するしかない」と言うが、正にその通りかもしれない。権力に固執する、一般的に言う「大物(?)、過去の経歴が素晴らしい(?)」と言われる人物が長きに渡り、権力のある地位にしがみつく様に君臨し、時として私物化して、他の意見、提言、苦言、助言など有っても、権力の乱用や報復におびえ、周囲の者は何も言えず、自己保身の為、沈黙、服従、辛抱し、言いなりに成るケースが多い。とかく組織、権威者には、与えられた権力の座を私物化、悪用、乱用し、組織本来の目的や理念を蔑ろにする者も多い。組織や権力者の傲慢さやパワハラに耐えかね、堪忍袋の緒も切れて、勇気を持って、自分の将来をかけて、内部告発する人も出てきた事は良い事と言えよう。しかしパワハラは何処にでもある事で、目立たないか耐え忍んでいるだけかもしれない。
2018年9月7日金曜日
サマータイム廃止は賢い判断
ヨーロッパの多くの国々では、今迄実施してきたサマータイム制を廃止する事を検討している。サマータイム制の日々の生活上、実に不便な面、健康面から好ましくない事が指摘されて、一般国民の意向も取り入れ、廃止の方向を検討している。実際にサマータイム制の下で、経験した人なら、サマータイムの多面的な煩わしさ、健康上の辛さ、日常生活での混乱を理解できる筈である。誰が言い出したのか分からないが「日本でもオリンピックに向けてサマータイムの採用を検討しよう」との事で、多くの日本の人々も「何馬鹿言ってんだよ」「今更なにを言ってんだ」「本当に必要で良い制度なら、早く実行してる筈だ」「昔日本もこの制度を採用して、直ぐに辞めたんだろう?」と、サマータイム採用検討に怒りが噴出している様だ。一時的な思い付きで、このような事を考え、国民を振り回すとは、何と呆れるほど幼稚な事だろう。「良識ある人間、ましてや政治家なら、もう少しまともな事を考えろ」と、怒りを露にする人も多い。そんな意味で、ヨーロッパのサマータイム廃止論検討は実に賢い判断と言えよう。
2018年9月6日木曜日
他人の子と比較して、我が子を評価するのは間違い
人は何でも他の人、物と比較して、優劣を感じたがるようだ。子を持つ親は、我が子の成績を評価る時、殆どと言って良いほど「他人の子と我が子を比較して評価する」と言っても過言ではなかろう。中には「参考までに他人の子と比較する」と言うが、実際には、親は「XXさんの子は出来るのに、何であなたは出来ないの?」と子供を非難、叱責する理由にする事が多い。他人の子と比較する場合も、殆どの場合「自分の子よりも良くできる子と比較し、我が子を責める材料にする事が多い。親は「自分より上の子を目標にさせる為」と言うが、これは単なる、親のエゴ、欲以外の何物でもない。我が子を兄弟、姉妹も含め、他人と比較して評価しても、子供にとっては何の意味も無いし、子にとっては実に迷惑な事であろう。子供一人一人を見て、しっかり評価すれば良い事ではなかろうか?何と言っても自分の子なのだから、しっかり我が子を信じれば良い事では?「我が子を信じれない=自分を信じれない事」と同じでは?
2018年9月5日水曜日
相互協力、相互扶助は存在しない?
現在高齢者の人達は、苦しい戦後を乗り越える為、「相互協力、相互扶助」を大切にし、助け合いながら危難を乗り越えてきた。「金が全て、金が第一」と言う、経済至上主義の現代では、「言葉だけ、リップサービス」の相互協力、相互扶助はあるものの、とかく「他人ごとには口を出さない、立ち入らない」と成っている様だ。「時代の流れと共に人間も変わる」「競争社会での生き残りゲームの厳しい世界で、まず自分が生きる事が最優先で、他人など構っていられない」と言えば、確かにそうであろうが、それにしても、親子間家、親戚関係、友人関係、隣人同士の関係も含め、余りにも人間関係の希薄化は悲しく、残念な現象である。昔の「むかい三軒、両隣」と言って、隣人を大切にし、相互協力、相互扶助の精神は、今は「向かい三軒、両隣は何者だ?」「向かい三軒、両隣も他人で無関係、煩わしい」と言う時代に成って来ており、多々にして争い事が絶えない事も有る様だ。時代の変化とは言え、「お互い争わない」事、大事にすべきものは継続して行って欲しいものだ。
2018年9月4日火曜日
今の70歳と昔の70歳
昔の70歳と言えば、腰を曲げて杖をついて歩く姿で、「本当に老人だな」と言う感じであったが、今の70才は腰を曲げて杖をついている人は殆ど見えず、背筋をピンと伸ばし、胸を張って堂々と歩き、「何と元気なんだろう」とビックリする程である。今と昔では医療機関、医療体制、健康補助薬、食生活、生活様式、健康に関する意識,と実践など、多く点で進化し、異なっているが、今では70歳と言えど、その年を感じさせない人が多い。勿論、70才でも自分の健康管理をシッカリ実践し、日々運動などして、努力して居るのだろうが、心身共に健康的で精力的に色々な活動に挑戦している70歳以上の人を見ると「立派」と、本当に頭が下がる思いである。
2018年9月3日月曜日
何で虐待なんか出来る?
我が子に対する虐待?信じられない。何で我が子にそんな残酷な虐待など出来るのだろう?愛らしい我が子を、どの様な精神状態の持ち主が虐待をするのだろう?大人になって、虐待すれば、どの様な苦痛、心痛、苦しみが有るかも分からないのだろうか?子供はどんなに頑張っても親から、大人から逃れられないし、抵抗も出来ず、虐待されるままで居るしかない。この様に我が子を虐待する者には、同様の虐待を我が身で経験させ、虐待はどれ程残酷で、人間として恥ずべき事、人間として最低の行為かを教え込まないと、永遠に理解出来ないのでは?しかし、ちょっと注意して考えなければならない事は、虐待は必ずしも肉体的虐待だけではなく、言葉による精神的虐待もあり、とかく言葉による精神的虐待は見逃されているか軽視されている傾向にある様だ。パワハラもセクハラも一種の虐待ではないの?それにしても、虐待を無くす方法無ないのだろうか?
2018年9月2日日曜日
富田林の逃亡犯、いつまで逃げる気か?
大阪の富田林の逃亡犯は、一生逃げられるとでも考えているのだろうか?もういい加減姿を現し、住民の不安を解消して、シッカリ罪を償って欲しいものだ。一生逃げきるなど、まず不可能な事であり、毎日「ひやひや、ドキドキ」しながら、人目を避け、隠れる様にして生きる日々を過ごし、犯罪を繰り返しながら生きるなど、全く意味の無い事である事を認識すべきであろう。逃亡犯は警察との知恵比べでもしているつもりなのだろうか?それにしても、逃亡犯を出し、いまだ捕獲できないとは、警察も情けないと、市民、国民は考えている様だ。正に、警察の実に恥ずかしい、大汚点として、永遠の語り草に成るか、歴史に残るかな?でもこれだけ逃げ回るという事は、誰か手助けしてるんじゃない?
2018年9月1日土曜日
正義が必ずしも正義ならず
「正義は必ず勝利する」「正義は必ず証明される」「悪は必ず滅びる」「勧善懲悪」等とよく言われるが、現代社会は、必ずしも「正義が全て」と言う訳には行かなくなってしまった様だ。人間関係も複雑、希薄になっている現代社会では、「正義は必ず勝利する」等と言う保証はない。むしろ現代社会は「正直者は馬鹿を見る」と言われる時代に成り、「正義より賢く生きる」『法を犯さなければ何でもあり』「見つからなければ何でもあり」と言う世の中に成りつつあり、現に大手企業の不正行為が結構報道されている。巧妙な詐欺はじめ悪質な訪問販売、複雑多岐に渡る犯罪が横行し、犯罪者検挙も減少傾向にある。悪もそこらじゅうに蔓延しており、恐ろしい世の中に成りつつあり、いわゆる悪者がの悠然と善人の仮面をかぶり、人を騙しながら生きられる世の中に成ってい来ている様だ。それ故、真面目、正義が必ずしも報われる時代は終わりつつあるようだ。