2017年3月31日金曜日

「死にたいなー」と考えた事ありますか?

ある調査によれば、人間は生きている間に「死にたい」と何度か考えるそうだ。「死にたい」と考えるには、それなりの深刻な問題が有るからだろうが、私は「死んで何になる?」と尋ねたい。「死ぬ事によって、今の苦難から逃避できると考えるのだろうか?「人間死ぬ気になって頑張れば、どんな苦難も殆ど克服できる」と考えないのだろうか。また、人間は生きているから価値が有り、死んでしまったら、何の価値も無いと思うけど、如何だろう。若い時には「死を美」と考える時期が有るそうだが、私にはこの考えは賛同できないし、全く頂けない考え方である。死は究極の、最良の解決策ではないし、人間は賢い動物ゆえ、如何なる困難、苦難も、冷静沈着になって、良く考えれば、必ず道は開けると思うが・・・・・・間違いだろうか?折角ご両親の愛の結晶として、この世に誕生したのだから、如何なる苦難も克服して生きる事が、親に対する恩返しではないだろうか?

「人間家業を辞めたいなー」と考えた事ある?

人間家業を長くやっていると「もう人間家業辞めたいなー」なんて考える事が有るそうだが、貴方はその様な事を考えた事ありますか?この様な事を考える時は、決まって、何か良くない事、先行き不安、生き甲斐の材料が懸念される時、何をやっても上手く行かない時など、種々雑多な要因が考えれるかもしれない。人間は生きている間には、必ず喜怒哀楽、栄枯盛衰は付き物で有るが、とかく自分の思い通りに行かない事が有ったり、良くない事や不安材料が続いたりすると、「やけ」になって、マイナス思考が先行、優先してしまう様だ。「人間家業を辞めたいなー」と考えるなら、「それでは何を、如何したいの?」と尋ねたくなり、「人間家業を辞める」という事は「死ぬんですか?」と尋ねたくなる。本来この様に考える人は、一時的な感情でストレスが溜まっている時でしょうから、何かで思い切りストレス発散をすれば、この様な事を考えなくなるでしょう。しかし、人間家業などそう簡単に辞めれる訳が有りませんからね。楽しく人間家業を続けましょう。

2017年3月30日木曜日

人間関係では「はじめ良くても、終わりは最悪」?

日本には「はじめ良ければ、終わり良し」という言葉が有るが、人間関係で言えば、「はじめ良くても、終わりは最悪」という事が多い様だ。人間同士が付合う中で、初めは、遠慮しながら、お互いに歩み寄り、時間をかけて理解し合い、信頼関係を構築して行くのだが、何らかの理由で、人間関係、友人関係が終わる時、または終わった時には、殆ど「憎しみ合い」で終わり、その憎しみが結構長く続く様だ。これが人間の「サガ」と言えばその通りであるが、基本的には、人間関係や友人関係が決裂した時には「自分が正しい、相手が悪い」と、「自分を正当化し、相手を悪者にする」のが、世の常、人間関係の常の様だ。人間とは、矢張り「自分第一主義」「自分超最重要視主義」の典型を表し、何とも侘しい生き物の様に思えてならない。「人間関係、友人関係、恋人関係、夫婦関係など」、何でも終わりが来たら、その問題を消去して、「未練がましく、いつまでも引きずらない、口にしない潔さ、前向きの姿勢」は無いのだろうか?いつまでも「詰らぬ事に引きずる」「相手を悪者にする」より、「これから先の事を考える方」が発展的と思うが、如何だろう?

離婚する時のトラブル

お互いに惚れ合い、愛し合い、よく話し合い、見つめ合い、良い所も悪い所も納得して、相思相愛の上結婚した夫婦であるが、結婚生活をしていく中で、何らかの理由、原因、行き違いで、愛が憎しみに代わって行く事が有る。その結果、最終的には離婚する事で、お互いが合意する事に成るのだろう。しかし、厄介な事は、離婚する時のトラブルであろう。夫婦相互が愛し合い、一時期は伴侶として生活していて愛情が深かった分、別れる時には、「憎しみ」も深い様であり、離婚の話し合いの時には、「相手を徹底的に攻撃し、最大限の打撃や苦しみを与えようと、骨肉の争い」に発展する事が多い様だ。結婚する時も、離婚する時も「お互い様」の筈であるが、何故か極端な嫌悪感と欲を示し、「もう相手を立ち上がれない程、大打撃を与えようとする人が多い事」は、人間として実に残念である。少なからず、一時的にでも「惚れて、惚れられて、相思相愛」になったのであれば、離婚後も相手の立場を考えてあげる心の余裕が欲しい物だ。難しい相談でしょうか?

2017年3月29日水曜日

友人関係で原因不明のトラブル

友人関係で、ある日突然友人の態度が変わり、「何故友人の態度が変わったのか」理解出来ないで、考え、思い悩む人が、結構いる様だ。所謂、友人の態度の変化、接触姿勢の変化の原因が全く分からないまま、最終的には、その友人関係が消滅してしまい、永遠の謎となる事も有る。この様な場合、態度を変える友人が、誰か他人からの話や噂などを聞いて、本人に確認する事なく、友人に嫌悪感や敵対意識や不信感を持ち、友人関係を終了させてしまう。他人の話や、噂話を鵜呑みにして、友人関係が終わるなら、その程度の薄っぺらな人間関係、友人関係、信頼関係と言え、近い将来ダメになる事は予測できるが、真偽を確かめる事なく、大切な友人関係を終わらせる事があるなら、余りにも情けないと感じる。貴方は「原因不明の内に、友人関係が消滅した経験」はありませんか?時として、人が全く理解できない行動をとるから、厄介だね。

森友学園騒動は人間の本性が理解できる

森友学園騒動では国会でも大論争が起こっており、国民の多くは「もういい加減にして、もっと大事な事を審議しろよ」と、怒り心頭、憤懣やるかた無しという状態である。この学園騒動や国会での証人喚問等を見ていると「人間の本能や本性」」が明確に出て、「人間とはいかなる生物、動物であるかが理解出来、人間学を学ぶのに大変参考になる。即ち、人間は「自分の利益になる事、自分を守る為には、親兄弟、親戚、友人、誰であろうと、相手構わずを犠牲にしたり、如何なる悪事をする事にも躊躇しない」という事である。また「自分一人が決して不利益、不具合、罪を背負う事を回避する為、ありとあらゆる手段を取り、誰かまたは組織など、必ず道連れ、又は混乱、崩壊に導こうと、必死に抵抗する。この騒動を見れば「人間関係は如何に希薄で、幾ら信頼関係、友人関係であろうとも、何か自分に不都合、不利益を被る時は、いつでも相手を裏切り、必死に自分を守り、生存、存続しようとするのが人間で、本当に信用できない生物」という事の証明かもしれない。 それにしてもこの森友学園騒動は、人間の醜さオンパレード、見るも聞くも汚らわしく、不愉快極まりない騒動と感じている人は多い様だ。「人間は本当に恐ろしい生き物」だね。野党も何とかして国民の為の真相究明と言うより、安倍政権打倒の為に必至と言う感じで、何とも不可解である。 

2017年3月28日火曜日

通信販売トラブル

テレビ、ラジオ、雑誌、コンピューターなど、ありとあらゆるメディアを用いての商魂たくましく、商品販売が横行してる。商品を売る側は、あの手この手を用いて、商品の魅力を訴える事に、最大の知恵を絞って、客の心を捕らえようと努力している事は、十分理解できる。しかし、連日メディアのの商品販売は「これでもか、これでもか」と、嫌気がさすほど攻めまくってくる。私は一般で言う通信販売で、商品を買おうとは全く思っていないが、結構多くの人が、この通信販売で商品を購入している様だ。商品を注文し、代金を支払い、商品が手元に届いた時に、「気にいらない、考えていた物と異なる、返品しようとしても返金されない」等々、多くのトラブルが発生している様だ。テレビでの商品販売では、大事な注意書き等は、ごく小さい文字で、中々読み取れないし、最後まで読む前に、画面が変わるなど、消費者、購入検討者、希望者に、丁寧に配慮されているとは感じられない。この様な事から、多々トラブルが起こるのだろう。通信販売で商品を注文する際には、十分注意を要するようだ。貴方は通信販売を利用して、納得のいかない事はありませんでしたか?最近の商品販売には、十分注意して購入をしないと、トラブルに巻き込まれてしまう様だ。

「お前にそんな事言われたくないよ」という言葉

「お前(あなた)にそんな事言われたくないよ」という言葉を時々耳にするが、この言葉は、人間関係、友人関係で「冗談交じりに、遊び感覚」で言われるなら、微笑ましく、深刻な問題ではないかもしれない。しかし、議論がエスカレートして、本気で、怒りを表しながら、この言葉を使用する時は「お前(貴方)は私より人間的レベル、能力、地位、その他の事柄が低いんだから、そんな事言う資格は無い」という言葉に聞こえる。考え方次第かもしれないが、この言葉は一種の差別用語、排他、排斥用語で、「お前(貴方)の様な馬鹿に、私に向かって言う事じゃない」とも解釈できる、ちょっと危険な言葉でもある。本来この様な言葉を使わないに越した事は無いが、とかく感情的に成ると、人間は罵詈雑言、人を傷つける言葉を発してしまう様だ。この言葉を相手が言い争いの時に発したならば、それは「一時的な感情の言葉や失言」ではなく、「相手が常日頃考えている本気、本音の言葉」と解釈した方が良い様だ。貴方は相手から、本気でこの言葉を言われた事ありませんか?もし有れば、その人を友達とは見なさない方が良いかもしれませんね。

2017年3月27日月曜日

人間は常にトラブルを抱えて生きている?

以前、四苦八苦の事について記述した事が有るが、人間は例外なく「生老病死」という四つの苦しみを抱え、問題を処理しながら生きて行く運命にある。この四つの苦しみの中の、「生」の苦しみは人間社会で生きて行く為に「経済基盤」「人間関係」「生活環境」「生活条件」等、多くの大事な要因が絡んでくる。それ故、人間が安定して生き延びて行く為には、日々出てくる所問題を解決、処理して、前進して行く事になる。また問題解決も、容易に解決出来る問題、解決には自力では処理できない問題、法的な事柄が絡む問題、恨み、辛み、敵対関係が生じる問題、解決には長時間かかる複雑な問題など多種多様である。「毎日が何の問題も無く、悩むことも無ければ、これ程幸せな事は無いだろう」が、この世には、全く問題を抱えていない人は居ないであろう。貴方は日々の生活で、何も問題も無く、頭を悩ます問題を抱えておらず、幸せに暮らしていますか?いつの世に成れば、全く問題を抱える事なく生きる事が出来るのだろう、これは不可能でしょうか?

恋人同士のトラブル

恋人同士のトラブルと言えば、行き過ぎた自己愛、嫉妬、干渉、束縛、裏切り行為、許しがたい行為、例えば「嘘ばかり言う」「何人も恋人がいて、隠れて付合っている」「だまして金銭を取る」「金に無頓着でだらしない」「将来の事、相手の事など全く考えない自己中心」等、深刻なトラブルであれば、即刻別れて、二度と会わなければ、完結し、実に簡単である。ただ注意しなければいけない事は、最近では、思い込みの激しい人が多く、自分の思い通りにならなければ、別れた後に、ストーカーに変身する人間である。
基本的に、恋愛期のトラブルは、「相互に好かれよう」とする為、「お互いに何事に対しても寛大になり、気使いもあり、相手の殆どの短所、欠点、失敗などは許す」傾向にあり、それほど深刻なトラブルは考えられない様だ。いわゆる恋人同士のトラブルは「じゃれ合い」「甘え合い」を楽しんで居るという感じであろう。むしろ恋愛期が終わり、結婚した後が心配で、多くのトラブルが発生する事であろう。恋人同士はいわゆる「恋愛ごっこで」、「夢の中で、自分に恋をしている」事を認識した方が、今後のトラブル解消になるだろう。永遠に恋愛ごっこで一生は過ごせないので、恋愛期間中にシッカリ相手を見極めて、結婚を考えるべきでしょうね。お幸せに!

2017年3月26日日曜日

夫婦間のトラブル

熱烈な恋愛の後、「相思相愛」「相互尊重、尊敬」で「いつも貴方の傍に居たい」「貴方とならば永遠に幸せ」と思い込み、結婚するのだろう。でもその思い込みは、どの位続くかは、高々知れたもの。結婚後は、恋愛期とは異なり、夢物語ではなく、経済基盤を確実にして、日常生活の維持等、厳しい世の中、社会の中での現実生活になる為、「相手、伴侶、パートナー」に対する要求も厳しくなる。自分の思い通りの理想の生活維持が困難になれば、ストレス、不安も多くなり、相手に対して不満も噴出してきて、相互に非難したり、多くのトラブルが発生する。お互いが冷静沈着になり、恋愛期の「相手への気使い、許す心、相互の協力で問題解決」する姿勢が有れば、殆どの難関を乗り切れるのだが、理性よりも感情が先行して、「相手を責める」行動に出れば、近い将来離婚する事になるであろうし、その様な相互のいがみ合い、憎しみ合いの関係で、不平不満、ストレスを抱えて共に過ごすなら、相互に精神衛生上良くない為、離婚した方が、相互の幸せかもしれない。子供が居れば、夫婦喧嘩は、尚更子供の教育上、好ましからぬ事であり、また子供に不安感を与える為、慎重に考えなければならない重要な問題である。夫婦のトラブルは「犬も食わぬ」という様に、夫婦で力を合わせて解決するしかないが、解決できなければ離婚すれば良い。夫婦も元々は他人ですから、相互協力、理解が無ければ維持は無理だよね。

病院の病室でのトラブル

最近病院は連日患者で一杯であるが、外来患者間同士のトラブルはそれ程目にする事は無い。しかし、入院患者の居る病室では、結構トラブルが有るそうだ。ある時、私の親友が病気で入院したので、6人部屋の病室に見舞いに行った。病室を訪問した時、私の親友は、2人の入院患者の真ん中のベッドで寝ていたが、私の見舞いに、笑顔で出迎えてくれた。私はベッドの脇の椅子に座って、「周囲の人に迷惑に成らない様に」と気を使いながら、小声で親友とお喋りをしていた。すると突然、隣のベッドに居た入院患者が、「うるさいから、この部屋から出て行って、他の場所で喋ってくれ」と大声で言った。私は、一寸ビックリして「すみません」と言って、病室を出て、知人に「隣に怖い人が居るね」と話したら、「あの患者は、病室の嫌われ者で、自分では大声で話、大きなボリュームでテレビを見て居ながら、他の人が音を立てると直ぐ怒るんだよ」と呆れ顔で話していた。世の中にはこの様な「自分は騒音を立てようが、何をしても気にしないが、他人が何かすると直ぐ文句を言う、自己中心の非常識人間」が居る様だ。この様な人間には「お互い様」という認識は無い様だ。「他人には何でも要求するが、自分は如何なる要求も受け入れない人間」貴方はこの様な、嫌な人間、経験、話を聞いた事ありませんか?いわゆる世の中の迷惑人間、如何思います?

2017年3月25日土曜日

電車、バス車内でのトラブル

公共交通機関のバスや電車内で、乗客同士のトラブルは、いつになってもおさまる事が無い様だ。深夜電車では酔っ払いの迷惑行為、昼間は乗客同士で「眼を付けた」「体に触った」「足を踏んだ」「化粧品のにおいが我慢できない」「スマホでの電話」「イヤホンを付けても大音量の音楽鑑賞」「座席を一人で占領するような座り方」等など、トラブルの原因になっている様だ。「如何でも良いような些細な事」と自分は思っても、他人は「迷惑行為そのもの」と敏感に捉える人も居る。とかく「自分中心人間が」最近多くなっているせいで、「自分の行為が他人に迷惑」と考えないし、自分勝手、自分本位に、公共交通機関内でも振舞い、それを注意しようものなら、暴力まで振るわれたり、さらにエスカレートして、殺傷事件にまで発展する様な、恐ろしい時代になっている。この様なトラブルはいつまで続くのだろう?今の日本人には「公共マナー、礼儀、気配り」等は無くなってしまったのだろうか?貴方は公共交通機関車内で、トラブルを見た事はありませんか?日本人も年々他人の存在無視化しているのだろうか?

人間は感情の動物ゆえ、トラブルは付き物

人間は感情の動物である事は、誰もが承知の事実である。感情の動物であるが故に、人間関係上、争い事、誤解、意見の相違、仲たがいが有る事も当然の理である。全ての人間関係で、この感情の在り方次第で、多々問題が起こるのは、人間社会では全ての人間が許容し、容認しながら、日常生活を送っているのであるが、多々問題が生じる。その問題の中で厄介な事は、このトラブルが排他的、差別的な嫌がらせや仲間外れなどのトラブルが、今の日本社会には多過ぎ、日常生活の居心地の悪さが問題になり、多くの人々が困っている様だ。自分の意見に賛同しない、自分の言いなりに成らない、自分のグループに入らない、自分と行動を共にしないなど、実に些細な事で、排他的行動に駆り立てる感情優先型の思考形態に、大きな問題がる。自分第一主義、自分最優先主義、自己中心主義の行き過ぎが、今の日本社会で生活の居心地の悪さを生じさせていると言っても過言ではない様だ。人間は素晴らしい知能を持っているのだから、自己主張を他人に押し付けるのではなく、協議をシッカリ重ね、何故他人に対しもっと寛大に成れないのだろう。貴方は自分を排他的と考えますか、それとも受容的と考えますか?こんな小さな地球で、いがみ合っても何の意味も無いのだから、みんな仲良く暮らせないものだろうか。

2017年3月24日金曜日

友人間のトラブル

人間関係は、この世で生きる上で、一番難しく、複雑と言われている。人間関係の中でも、職場、隣人、学生時代、ママ友、飲み友など色々な関係が有る。友人関係でも、その関係がどの様な事がきっかけで友達関係になったのかにもよるが、月日の浅い友達関係なら、いとも簡単に、ちょっとした意見、考え方、価値観の相違や、意にそぐわない事で、分裂して行くもので、お互いにそれ程心に傷を負う事なく処理できる。しかし、長年友人関係が有る場合は、それ相当の信頼関係がある為、そう簡単に分裂する事は少ないが、裏切り行為、信頼関係消滅などで、友人関係が崩壊すると、実に厄介で、心の傷も深い。更に、友人関係が長い場合は、心の傷も深い為、恨み、辛み、嫌悪感も長く引きずって行くものである。本来どんな人間関係、友人関係でも、いつも、永遠に、気持ちよく、信頼関係、相互協力を維持できれば、これ程素晴らしく、幸せな事は無いが、些細な事で、永遠の別れになる事も少なくない厄介な、でも複雑怪奇な問題である。貴方はどの様な友人関係を望んでますか?友達関係で悩まなくて済む様、友達を持たない事を選びますか?それとも、友達関係で何が起こっても、後悔する事が有っても、友達関係を持つ事を選びますか?人間関係は本当に難しく、複雑です。

電話での迷惑行為

最近では誰もがスマホ、携帯電話を利用し、現代の機器を最大限に有効活用している人は多い。町の中では、公衆電話が圧倒的に少なくなり、携帯電を所有していない人には、実に不便に感じる事も多い。私は携帯電話を所有しておらず、所有する気も無く、今も固定電話や公衆電話を利用する、今や時代に乗り遅れている古い人間です。家の中に居ても、迷惑電話、無言電話、商品販売や勧誘電話、訳の分からない怪しげな電話、特殊詐欺電話がかかってくる。実に迷惑で、この様な電話を無くす事はできないのだろうか?頻繁にかかってくる迷惑電話は、商品販売、保険勧誘、電話の切り替え、プロバイダー変更、電気料金を安くする為の勧誘等々である。この様な勧誘電話を規制する法律でも作っては如何だろう?勧誘電話をする方も、自分の生活維持、会社発展の為、金儲けをする為、必死なのだろうが、電話を受ける側の迷惑も考えて行動して欲しい物だ。他人の迷惑を考えられず、勝手に迷惑電話をかける様な会社は、決して成功、発展する筈がない事も認識すべきだろう。貴方は迷惑電話を受けた事はありませんか?

2017年3月23日木曜日

人間は天使と悪魔の心を持つ?

昔から「人間は天使の優しい心と、悪魔の邪悪で残酷な心を持つ」と言われている。 「人間は本来知能が高く、複雑な心を持つ生物」と言われているが、確かに、人はこの世を生きて行く上で、毎日色々な事を考え、行動していて、その中で人間関係が常について回る。その人間関係の中で、親切であったり、争い事が有ったりして、事と次第では、天使の様にやさしく、時には悪魔の様に残酷になる様だ。天使の様に優しい事には、全く問題なく、むしろ歓迎すべき事で、皆が優しければ、人は皆幸せに過ごせる事だろう。 一方、何らかの理由で邪悪な悪魔の心を持てば、常に争い事が起こり、嫌がらせをしたり、されたりの毎日となり、気の休まる事も無く、精神的に辛い日々を過ごす事と成り、心穏やかに成れる事も無い悲劇である。何事もプラス思考で考え、行動し、皆と仲良く平和に日々過ごしたいものだが、「何事もお互いさま」と天使の心と慈悲の心を持って人と接し、仲良く過ごせないものか?悪魔の心で、争い事を起こせば、何の解決にもならず、むしろ敵対関係が増大し、更に残酷で醜い行動のみが出て、相互にプラスになる事は無いと思うが、如何だろう。

この世で一番邪悪な生物は人間?

この地球上には実に多くの生物が存在し、夫々が今迄学び、経験、持ち合せた英知と能力を生かしながら、この世の生き残りゲームに勝ち残り存在する。多くの生物の中で、一番賢い生物(?)は人間と言われ、賢いがゆえに、一番邪悪で残酷な生物とも言われている。人間が知恵を使える為、一番邪悪で残酷な生物な為、人間観の争いが絶えない」と言われている。その真偽は別として、その様に指摘されれば、「なるほど正論かもしれない」と考える事が有るが、貴方はどの様に考えますか?人間は憎しみ合い、争い、いじめ、排斥、騙し、殺傷、戦争など、残酷な事が平気で出来るので、本当に恐ろしい生物と言える。人間は残酷に成る時には、本当に残酷に変身するが、良い意味では人間は親切で慈悲深い行動も出来る。人間の「親切と残酷」は、紙一重と言いますが・・・・如何でしょうか?残酷な人間はこの世に居て欲しくありませんね・・・・・

2017年3月22日水曜日

この世で一番難解な問題は、人間関係

人間がこの世で生きて行く為には、何らかの問題や悩みを抱えているものである。この世を生きて行く為には、我が身に降りかかる諸問題を克服して、生きて行かなければならず、その中でも難解な問題も多い。「生きて行く上で、一番難解で厄介な問題は、人間関係」と言われている。学校を卒業して就職しても、仕事の内容は納得し、満足できるが、人間関係が上手く行かず転職する人も多い様だ。また、日々の生活環境でも、殆どの事は、何ら大きな問題も無く、満足して生活できるが、地域住民、隣人住民との人間関係、種々雑多な問題を抱え悩み、ストレスを感じている人も多い。この世は人間社会である為、「人間関係が一番難解な問題」と言われているが、これらの問題にほとんどは「自己中心的な事」「自分の欲」「公共マナーの欠如」「相互の思いやりと寛容さの欠如」が原因の様であるが、貴方は人間関係で、頭を悩ませている事は無いですか?人間関係は上手く行ってますか?それにしても「人間という生物は、本当に扱いにくい動物なんでしょうね」

何かにつけ自己弁護するのが人間?

人間社会では、少なからず何らかの点で、他の人と衝突する事が多々有る。他人から攻められたり、非難されたり、何か指摘された時、如何なる場合でも、ほぼ間違いなく反論するか自己弁護する事が多い。この場合、内容の正誤、良し悪しに関わらず、必ずと言ってよいほど「反論、自己主張し、自己防衛、自己正当性、自己主張、自己弁護をするのが人間だそうだ。相手次第では、激しい口論になり、その意見の相違から、人間関係は崩れ、時には憎しみ合いに発展する事もある。「人間は常に自分が一番大切で、正しいと考え、自己弁護、自己正当性」を主張する生物らしい。相手を非難したり、意見具申をしたり、苦言を呈する時に、その人は自分の意見や考え方や行動様式を基準とする為、他人と何でも一致する筈がないのだが、一致させる事を望む為の行為なのだろう。相互啓発、情報交換、意見交換、助言、提案程度なら良いが、無意識に強制し様とする意志が有り、現実的には「争い」となる事が多いのは残念だ。人間社会、人間関係は本当に複雑で、厄介なものだ。人の意見には「そういう考え方が有るのか?」と受け入れる方が望ましい様だ。

2017年3月21日火曜日

人付き合いも疲れる時代?

人と付合う事に「楽しい」と答える人と、「疲れる」と答え人が居るが、貴方はどちらでしょう?確かに人と付合い、色々な話をする事から、多くの事を学べると、考える人。一方、人と付合うと、「色々と気を使うし、本音を言うとトラブルになったり、相手を怒らせたり、嫌われたりする可能性もあって、とても疲れるから、積極的に付き合いたくない」と言う人も居る。この世の中、色々な人が居るから、面白いのかもしれないが、確かに「人と付合う時には、状況に応じて、それなりに気ずかいが必要になる事」も多々ある様だ。しかし、長年の親しい人と付合う事は「本音で何でも言えて楽しい」と言う人も居て、「人付き合い」に関する考え方、捉え方は、その人なりの価値観、重要性次第で異なる。多くの場合は、人と話す時には「トラブル回避」「誤解されない」「嫌われない」「立ち入らない」「弱みを見せない」「本音、本心を言わない」等、色々な防御線を張って、話し合いを楽しんでいるかの様に振舞う人を多く見受ける様な気がする。この様な付き合い方なら、確かに疲れるだろうと感じてしまうが、人との付き合い方は、皆が「相手次第」と、賢く考えて付合っているのでしょうね。

相互理解は本当にあり得るか?

「相互理解」「共通理解」と言う言葉は、「お互いに理解し合う」という意味で、人間関係上、実に大切な言葉で、これが実際に行動に移されるならば、人間関係、国際関係上でも、争い事も無く、平和維持も出来、これ程素晴らしい事は無いだろう。しかし、人間は本来「自分中心」「自分最重視」の生き物である為、人間は各々に成育環境と過程が異なり、見方、考え方、価値観も異なり、本当に「相互に理解する事」は不可能と思える。一般的に「相互理解又は共通理解している」と言う時は、往々にして、お互いにその場や今後のトラブルや衝突を避ける為、「理解した振り」をして、その場を穏便に済ませ様とする行為の様だ。些細な事で、何もトラブルや衝突が起こらない事なら、「相互理解、共通理解」と言う事も有り得るが、自分に何らかの利害損得に関係する事なら、「自分の考え方正しいと信じる人間の本性」から考えれば、「相互理解、共通理解」は殆ど無いと言える。人間は言葉を発する時「自己弁護、自分の知性、人間性」を良く見せようと、自分の都合の良い様に、言葉、表現をその場に応じて使い分ける賢い生物の様だ。貴方は如何なる状況の時に「相互理解、共通理解」を感じ、これらの言葉を使用しますか?相互理解とは何処まで理解し合っている事を言うのでしょう?

2017年3月20日月曜日

子供は純真無垢、大人は悪心有垢?

世間一般で「純真無垢な子供」と言う言葉を耳にする。確かに幼い子供たちは、まさにこの「純真無垢」で、罪も悪意も無い清廉潔白の真直ぐな心と言う感じで、見ていて微笑ましく、気持ちが良い。子供も成長するにつれ、世の中、大人の醜さ、狡さなど見聞し、いわゆる「世間、人間の汚さ」を学ぶ事になる。その学んだ、悪意、醜さ、狡猾さを大人になって使い始める事になる様だ。これらの人間の醜さ、悪習を持って生活しければ、世の中を渡り、生き延びれない世の中が存在するから、止む無く悪の数々、悪知恵を持って生きる事を強いられるのだろうか?これらの悪意、醜さの行使が、世間一般、日常生活で起こり、他人との争い、いがみ合い、トラブル、犯罪の原因になっている様だ。人間には本来「純真無垢」で行き続ける事は出来ない生物なのだろうか、それとも、人間の本質は「悪魔の化身」や「悪心有垢」なのだろうか?年々人々は良い人間関係、信頼関係を築く事が困難になり、些細な事で争い事が起こる世の中に成りつつあるようだ。貴方は如何思いますか?

IT機器を用いて多発するトラブル?

世界中でIT機器の開発、発展はめまぐるしい物が有り、誰もがコンピューター、スマホ、SNSなど多種多様の手段を利用し利便性を楽しんでいる様だ。確かにこれらの機器で、我々の日常生活は、大幅に便利になり、恩恵に預かっている人が多い事は言うまでも無い。これ等の機器を正しく有効に使用されるなら良いが、中には悪用する者も多い。訳の分からない奇妙なメールやメッセージが送られたり、いじめや嫌がらせ、偽情報や如何わしい写真の拡散に用いられたり、被害を被って、困っている人も多い。何故、人を悪意を持って攻撃する為に、この様な危機を用いてするのか、全く理解できない。メールやメッセーを悪意を持って送っても、相手には顔を知られない、名前、住んでいる所等全く分からず、やりたい放題で、人への迷惑行為がやり易いのかもしれないが、この様な事は決してすべきではない。「馬鹿と鋏は使いよう」「猫に小判」「豚に真珠」等と昔から色々言われたりするが、悪意の使い方をする者は、有効利用が分からないのだから、この様な危機を使用すべきではない。ところで、これらの機器で迷惑行為を受けた事は、貴方にはありませんか?便利、利便性の裏には必ずと言って良いほど、悪用する者の存在が付いて回るが、この様な迷惑者を無くす様、取り締まりの強化策は無いのだろうか?

相互協力と言う言葉は、便利な言葉?

国際関係やビジネス界では、頻繁に「相互協力」と言う言葉を使用するが、この背景には「利益」が存在する為で、お互いに「利益」が存在しなければ、「相互協力」は存在しない様だ。。日常生活を営む、一般市民、友人関係などの場合でも「相互協力=お互いに助け合う」と言う言葉を使用する人は多いが、この様な場面では、この言葉は「便利で耳障り良い」から使用しているだけで、行動力は殆ど無い様である。一般の人々の間での「相互協力」は、通常「利益」が存在しない為、どれほど存在するかと言えば、微々たるものの様だ。「如何でも良い、些細な事には協力」するが、「本当に重要で、厄介な問題」になれば、協力する人は殆どおらず、皆逃げて関わらない様にする傾向にある。「本当に人や友達が『助けや援助を必要とする時』に力になる事」が求めらるが、こういう場面では「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり」で協力などしないのが、現代の日本社会である様だ。そういう意味で「相互協力」は便利な言葉であるが、その実行性は残念ながら殆ど無いと考えられる。貴方には「相互協力」できる人は居ます?

2017年3月19日日曜日

何故、人は他人を批判したがる?

「人間社会はとかく複雑で煩わしい」と多くの人は考えている様だ。人はとかく何かあると「他人の悪口、陰口、非難、批判」したがるが、何故そんなことを言いたがるのだろう。考えられる要因は「人を非難、批判する事によって、自分の正当性と自分の優位性」を暗に述べていると言われている。また、自分の判断、考え方の基準で「自分が常識的で正しい意見、考え方を示したい」という行動であるとも言われている。それ故、自分の意見、考え方と異なる人が居れば、その人を「奇人、変人、常識が無い」と悪口、陰口を言って、時には「仲間外れや嫌がらせ」をする人さえいる。何とも、さもしい習性と言うかサガなのだろう。人には人の価値判断、考え方、生き方、思想が有るのだから、「そういう考え方もあるのか」と、他人の考え方を受け入れられないのだろうか?勿論、他人の考えを受け入れ、学ぼうとする人も居るが、多くの人は、何人か集まると、そこに不在の他人を「ツマミ」にこきおろし、悪口、非難して楽しむ傾向にある様だ。人間はある意味「下等動物」「自惚れの強い動物」「ずる賢い動物」「自分の為なら、他人を非難して、自分の存在や優位性を示そうとする汚らわしい動物」と言えるかもしれない。人を非難しても自己満足だけで、何の意味も無いんだけれどね~。

信頼できる友達など不必要?

「私の真の友達はスマホ」等と平気で答える、若い男女が最近異常な程増えている。私にはこの意味は良く理解出来ないのだが、話によると「スマホが有れば、別に友達なんかいらない」「スマホを操作していると、楽しいし、一日中でも時間が過ごせる」とまで言う。「人間よりスマホの方が信頼できる」という事は、人間の価値が下がったのか?それとも「スマホは人を裏切らないら無い」から、「スマホを友達と言う位置にしている」とまで考え、人間関係は無用の骨頂にまで、成り下がったのか?という事なら、残念としか言いようが無い。人間を信じるか、スマホを信じるかは個人の問題故、私が如何こう言う事では無いが、それにしても人間関係、友人関係が無く、機械に依存する日本の社会も、寂しい世の中に成ったものだ。貴方が信頼できるのは、人間派?それともスマホ派?

2017年3月18日土曜日

長い友人関係も一瞬にして消滅?

最近の人間関係は、以前よりもかなり希薄になって、基本的には友人関係も「相手を信用しない」事が原則になっている様だ。友人関係と言っても、便宜上の付き合いで、いつ消滅しても良い事が前提になっている様で、何とも悲しい現実と言える。以前は友人関係が確立されると、ちょっとやそっとでは、この友人関係が消滅する事は無かったが、現在の日本では一瞬で、この関係も終わる様だ。友人の信頼関係を構築するのにお互いが交流し、話し、本音で付き合い、「この友達の為なら、多少の犠牲はいとわない」と言う関係が多かったが、最近はこの様な友人関係を持つ事は困難な様だ。「便宜上の友達=信頼関係なし=お互い利用しあう=いつでも消滅あり=腹の探り合い=情報入手の道具」の関係で、ちょっとした議論、誤解、話で、思い通りに成らなければ、長年の友人関係も数秒で消滅し、下手すると「今迄の友は、これからは敵」といがみ合う事も多々ある様だ。時代の変化なのだろうか、それにしても、最近では「信頼できる友達がいない」と嘆き悲しむ人も激増している。本当に信頼できる人間関係が作り出せないとは、何と悲しい日本の人間、友人関係だろうか。貴方は本当に信頼できる友人は何人いますか?

トラブル無しで精神的、肉体的バランスを健全に!

今の日本社会では会社、地域社会、人間関係などでも規制、規則だらけで、いつも堅苦しい、息の詰まる思いで生きて、ストレスを可なり貯めこんでいる人が多い様だ。社会空間でもがんじがらめの環境や雰囲気で生活していると、気の休まる時も場所も無くなり、精神的負担ばかりが先行して、健全な精神状態に我が身を置く事は、かなり困難になって来る。その結果、精神的にも肉体的にもバランスを崩し、病気になる事が多い。人間は精神的にも肉体的にも健全で存続して行く為には、ある一定の生活、環境、条件を必要とする。人間が人との対話、人間関係を剥奪されれば、一挙に精神的バランスを崩してしまう。また、日々の生活の中で、一定の運動量を維持しなければ、肉体的バランスを崩し、病気がちになる。この事から、人間は良好な人間関係、友人関係、家族関係など、人間同士の交流が必要不可欠となり、肉体的にはしっかりと食生活を維持し、適度の運動を持続的に実行する事も必要条件となる。貴方は精神的、肉体的バランスは大丈夫ですか?

時代の変化と共に、日本人の心にも変化?

IT機器の研究開発や発達と共に、時代の変化は目覚ましい物が有り、高齢者にとっては、IT機器を十分使いこなせず、IT機器中心で日本の世の中が進み、変化して行く事に、付いて行けなくなって来ている人も多い様だ。日本の凄まじい変化と共に、日本人の心、考え方、仕事の仕方、生活様式、人間関係も激変している様で、その目まぐるしい変化の中での、巧妙な犯罪多発、悪質事件、薬物問題などに戸惑っている人々も多い。また、人間関係、他人事には無関心、他人に対する思いやりや気ずかいなども変化し、あらゆる場面、状況で人間関係の希薄化、自己中心主義、自分が良ければ他人は如何でも良い、他人事や面倒な事には関わらないなど、深刻な問題も出て来ている。以前は「相互協力」「良き人間関係」を重視していた様だが、最近では「自分ファースト」が最優先になって来ている様だ。この様な「自分最優先的思考や行動」が益々進んで行く事で、今住んでいる地域、社会で生きていても、常に人間不信、疑心暗鬼、孤独感に襲われ、安全、安心の生活が望めなくなって来ていると感じている人が増えている様だ。貴方は今の世の中、生き易い、生活し易いと思いますか?今の人間関係に満足してますか?

2017年3月17日金曜日

自治会、町内会の在り方に疑問?

日本国内に住む人々は、その地域の自治会や町内会に入る事に躊躇したり、煩わしい、入会する魅力も価値も無い、面倒で、関わりたくないと考える人々が全国には大勢いるそうだ。これらの会に入らないと、その地域に住む人たちから、嫌がらせや嫌みを言われるから、止む無く入っている人は少なくないそうだ。中には入会を強制する地域もあり、入会拒否をすれば、何かにつけ難癖をつけたり、嫌がらせをしたり、生活ゴミを出させないなど、生活権や居住権を侵害するなどのトラブルも起こっている。本来生活ゴミをゴミ集積所に出し、処理する事は行政の仕事で、自治会や町内会がする事ではないのに、何の権限が有って「ゴミは出さないで」等と嫌がらせをして、多くの人を困らせるのだろう。排他的行動をとる事よりも、何故もっと寛容に出来何のだろう。ゴミ出し問題では、最高裁まで争って、結局自治会、町内会が敗訴した凡例もある。自治会や町内会を健全に運営したいなら「入会したいと思わせるような魅力ある会」にする必要が有る筈。自治会、町内会、ゴミ出しの問題で、安全、安心して生活する居住権まで侵害されるとは、日本も安心、安全に生活できる国ではないのか?

子供会に入らず、仲間はずれ?

子供会は何処の市町村にでもある組織で、学校と連携して、色々な活動をする組織の様だ。ある時、子供が子供会に入らなかった為、親から「あの子は子供会に入っていないから、あの子と遊んじゃダメ」とか「あの子は子供会に入ってないから、皆で仲間はずれにしろ」とか、親の方から指示が有る事が多いそうだ。仲間はずれ、一緒に遊ばないなどは、子供会に入ろうが入っていなかろうが、何処ででも起こっている事が、今の日本であるが、中にはエスカレートして「いじめ」の指示まで出す親も居るそうだ。子供会へ入会しないからと言って、そこまで親が指示するとは、何とも陰湿で質の悪い親だろうか?基本的に子供の仲間はずれ、一緒に遊ばない、いじめなどは、多くの場合、子供が考えて行動するよりも、親の指示や、親同士で他人の家族の悪口を子供の前で雑談して、そこから発生する事が多いそうだ。子供会入会していないからと言って、この様な事をする親子とは、やはり日本人は「島国根性の国」と言われる所以かもしれない。人が良く口にする「助け合い」「みんな仲良く」等と言うのは、単なる言葉だけの綺麗事か?

小、中、高のクラブ部活動でトラブル?

最近、小学校高学年、中学校、高校での文化部、芸術系、運動部のクラブ活動が盛んである事は、誰もが承知の事だろう。このクラブ活動で複雑な問題が頻発しているそうだ。最近の学校のクラブ活動は生徒と共に親も参加する事を強いられていて、親が参加できない時には、クラブを辞めなければならないそうだ。その親のクラブへの参加は「当番制で生徒の練習監視」「大会等の移動や送迎」「生徒への差し入れ」等、その他雑務も多いそうだ。ある生徒の親は「我が子のクラブ継続の為、クラブ当番の為、会社を辞めざるを得なかった」と言う事例もあった。「学校のクラブ活動入部、クラブ継続には、親の役割分担、当番制度が有り、その任務を果たせない場合は、入部出来ない規則が有るなら、学校のクラブは公平な教育の目的とは逸脱している」と激怒する親も多いそうだ。学校教育でのクラブ活動は何の為の教育?芸能人、運動選手の養成クラブ?何か変じゃない?これではトラブルになるのは当然じゃない?公教育の現場で、全ての学生が公平に学習やクラブが出来ない事は、何とも不思議で、理解出来ないが、これで良いの?

2017年3月16日木曜日

PTA関係のトラブル

我が子が学校に通い、いつもお世話になている学校や教師に、何らかの感謝の意を伝えたいと、多くの親はいつも考えている事であろう。そして学校の授業参観、PTA会合、学級会など、極力参加しようと、親も頑張っている様だ。しかし各家庭には夫々都合もあり、思う様に学校行事やPTA会合などに参加できず、申し訳無く思っている親も少くない様だ。しかし、近年このPTA,学級会、授業参観などの在り方に疑問を持つ父母が増えているそうだ。その代表は、PTAの在り方と役員の行動で、「何の為のPTAで、何の為のPTA会費?」「PTA会費は何に使われている?」と多くの疑問が噴出しているそうだ。中には「PTA役員会の為の飲食代、その後のカラオケ代に使われた」と言う事件もあった。PTAは基本的に「入会に関しては強制力は無い」筈であるが、PTAに関しての説明時には「入会の自由参加」を殆ど説明されない事も問題になっている。「入会の自由選択を説明すれば、入会する父母が圧倒的に減少する事を恐れているから」で、また この事から「PTAについてのトラブルがこれからも頻発しそうだ」と教育専門家は語っている。どうなるPTA?PTAの在り方に、貴方は何か疑問を持っていませんか?疑問が有れば、一度確認してみては? 

自治会、町内会でのトラブル

どの町、地域にも町内会、自治会などの組織が有る様だが、近年この自治会や町内会で、全国的に大きなトラブルがかなり増えて、裁判沙汰にまで発展している事が多い。このトラブルの多くは、「自治会や町内会に入っていないと、ゴミを捨てる権利が無い」と、その地域にその人が住み難くして、最終的にはその地域から追い出そうとまでする。生活ゴミは自治会、町内会が処理している訳でもないのに、これら全ての権利をこの会が所有しているかの様に振舞う。いわゆる、自治会、町内会のいじめ、嫌がらせの排他的行為である。この自治会、町内会に「嫌がらせやいじめを受けた人」が、余りにも酷く、目に余るいがらせの為、これらの会を相手に訴訟を起こし、裁判では自治会、町内会の敗北した。なぜこの様なトラブルが起こるのは、自治会、町内会に加入している人全ての人が悪いというのではなく、一部の人間が嫌がらせをしている様だ。「自治会、町内会不加入、ゴミ出し程度の事で、何でここまで憎しみ合い、嫌がらせをし、排他的にするのだろう?」。自治会や町内会の人は「何故その人は自治会、町内会に参加しないのだろう?」と考えないのだろうか?考えれば、その会その物が「多くの問題を抱え、入会する魅力が無く、理不尽な事が多いから」と分らないのだろうか?

共同住宅、集合住宅でのトラブル

国土の狭い日本は、団地、マンションなど、集合、共同住宅が乱立している。一時は「将来はマンションに住む事が憧れであり、夢だ」等と言っていた時代が有った。しかし現代日本では、団地やマンションに住む人たちは、日々の隣人同士のトラブルで悩み、気を使いストレスを少なからず感じ、最近では「住むなら一軒家」と言う考え方に変わってきている。団地、マンションに住む人たちのトラブルは、主に上下左右に住む人たちの騒音問題が圧倒的に多い様だ。「お互いさま」と我慢する人も居れば、自分の出している騒音を全く考えず、他人の出す騒音にだけ、異常なほど敏感になり、直ぐに怒鳴り込む人も居るそうだ。何とも忍耐力の無くなっている人、許容範囲の狭い人が増え続け、トラブル解消に悩む人が多くなった日本社会、今後益々集合、共同住宅、居住地でのトラブルは増えて行きそうで、住み難い日本になったものだ。貴方には隣人トラブル等ありませんか?トラブルが有るとすれば、どの様に解消してますか?

2017年3月15日水曜日

近隣住人間のトラブル

日本に限らず、世界中でも「お隣さんとはいつもトラブルがつきもの」と言うのが、この世の常なのだろうか?国際関係では、隣国同士は、いつもトラブルが付き物で、ゴタゴタし、隣国同士仲が良いというのは殆ど無い。日本の居住空間でも、お隣に住んでいる人達同士では、つまらない、如何でも良い事で、トラブルになり、相互にいがみ合って悩み、ストレスを感じている人達も多い。このトラブルがエスカレートすれば、警察沙汰や傷害事件、殺人事件まで発展してしまう事も多々ある。人は日頃「お互いに助け合って、協力しあって、楽しく安全で安心して過ごせる様に」等と言っているが、実際はこの言葉とは程遠い事を考え、行動し、敵対関係になっている様だ。人間はやはり「自分の思い通りにならないと気が済まない動物」「人間は自分中心の生き物」と言う事だろうか。人は「言動一致」「相互協力」「共生」等と言うが、年々他人に対する寛容な心は、どんどん無くなって行く様だ。近隣住民のトラブルなんて、本来自己主張、我儘、自己満足要求が原因で、人間は全て、自己中心の愚かな動物なのかもしれないね。トラブルなんて、ストレスが貯まるだけで、何もプラスになる事は無いと思うけどね、何で回避できないのだろう。

日本人は寛大な民族か?

この地球上は多種多様な民族によって構成され、世界が構成されている。どの民族も夫々特有の文化、伝統、宗教、言語など所有し、独自の価値観で国家運営をしている。日本は今や先進国として、世界に貢献しており、多くの日本人は「経済的にも先進国民主義国家として誇りにしている」と考えている人も多い様だ。世界中の先進諸国に比べ、日本人は世界貢献をして、寛大な心を持った民族であろうか?日本人の中にも多種多様な人が居て、それぞれが独自の価値観、常識、社会規範と通念をもって、「自分がこの世でいつも一番で、正しい」と考えて、日本社会で生きている様だ。正義感の強い人、犯罪を何とも思わず、自分が最重要で身勝手に行動する人、日々の生活苦で困っている人、経済的に裕福に生活をしている人、本当に多種多様だ。昔から「日本人は島国根性の民族」と言われて来たが、確か日本人には心の狭い、排他的傾向の強い所が多々あり、仲間外れにしたり、嫌がらせをしたり、陰口が好きな様だ。自分最重要視する人は、誰かが、周りの人と少しでも違う事をする人が居れば「変わり者、常識が無い」と言うレッテルを張られたりして、迷惑を被って困っている人も多い。身近な問題では、学校のPTA,自治会、町内会、地域活動に加入しているか否かで、全国的に問題が発生している。この様な会に参加しなければ「仲間はずれ、いじわる、嫌がらせ」など頻発して、裁判にまでなっているが、この様な事を考えれば、日本人は基本的に排他的で、寛大な心を持たない「島国根性民族」と言えるかもしれない。

世界激動の時代で日本も激変?

今年はアメリカの新大統領誕生と共に起こった激変を発端に、ヨーロッパ諸国、中東諸国や世界中のあちこちでも分断、敵対関係、移民排斥、宗教問題などで激変が起こる兆候が出ており、日々の国際ニュース報道で、その混乱と対立の様子が次々に知らされている。まず韓国大統領の弾劾でパククネ氏が失職し、近い将来、起訴逮捕されるかもしれない。まず次期韓国大統領が日本に対してどの様なな政策をとるかで、日本自体に大きな変動が起こる事はほぼ間違いない。日本国内でも、北朝鮮問題、自国防衛問題、貿易問題、中国との関係、森友学園、豊洲問題と百条定委員会、スーダンの自衛隊PKO問題などで、国会では何を論点として話し合いをしているのか、何とも国民には複雑で理解し難い問題が山積。一般国民にとって深刻な問題は、少子高齢化、高齢者の運転免許証返納、犯罪の多発、物価上昇、年金問題、税金問題、政治と金の問題と、こちらも山積み。また地域社会でもは、人間関係の希薄化、自己中心主義者の増加や色々な意味で、先行きが暗く、住みにくい国になりそうだ。貴方は今後どの様にして生き残りゲームに挑戦する?

2017年3月14日火曜日

中国政府が韓国を操るのは簡単?

韓国の次期新大統領が誕生すると同時に、中国政府は早速新大統領と接触を開始し、現在の韓国で大問題になっている「経済の冷え込みを回復させる事」を提示するだろう。その交換条件として、「サードの撤廃」を要求する事は明白である。韓国の新大統領が親中国派の文氏なら、即刻「韓国の深刻な経済問題を、中国政府と交渉してV字回復し、経済的な潤いがでた」と大統領就任早々に実績を示し、韓国国民から歓迎評価されるであろう。更に文氏は日韓との従軍慰安婦像合意問題を振り出しに戻し、中国政府と共に協力し、従軍慰安婦や日本軍の虐殺問題で、賠償請求をしてくる事になるだろう。これらの共同作戦で、韓国を中国政府側に付かせれば、中国は尖閣諸島略奪もいとも簡単に、又か韓国側にとっては「独島は韓国の物」と押し切れる様になり、両国にとって好都合。中国政府は韓国新大統領を巧みに操り、韓国を実に簡単に操る事が出来るようになるであろう。中国政府と韓国政府が共同で日本を槍玉に挙げるなら、危うし日本政府。

中国政府は次期韓国大統領に期待?

パククネ大統領の弾劾、罷免、失職により、韓国は次期大統領選挙モードに間もなく入ろうとしている。この次期韓国大統領に誰がなるか、中国政府は大きな期待をもって、注目している。現段階の韓国大統領候補では、反日の文氏が圧倒的な人気が有る様だ。中国政府はこの文氏が大統領選挙で大勝利をして誕生して欲しいと願っている様だ。文氏は反日派で、日韓関係が今後悪化していく方向に導き、親中派、新北朝鮮派で、中国政府は文氏と韓国を上手く中国側に取り込み、巧みに利用できると考えている。文氏が新大統領に成れば、中国政府は、まずサードの撤去、日韓関係と米韓関係を「経済協力、経済支援で韓中関係を餌にして、冷え込ませる事に最大の努力をする」と見なされている。韓国の新大統領が中国政府の言いなりに成って、中国政府の思い通りに操作されなければ良いが、残念ながら、その希望は余り期待できない様だ。台湾や本このの二の舞になり、弾圧、人権侵害、思想、言論、表現の自由などが奪われていく可能性が大と、多くの知識人はみなしている。

中国政府は六か国協議の再開を提案?

中国政府は「この度の北朝鮮ミサイル発射は、米韓合同軍事演習と韓国のサード導入が原因で、北朝鮮との緊張を高めている」と王毅氏が述べた。その上で「この緊張緩和の為に、中国政府が仲介となって、対話による緊張緩和に貢献したい」と述べた。王毅氏および中国政府の狙いは、六か国協議を再開して、その場で「北朝鮮、ロシア、中国」の3か国が連携して、韓国のサード導入を阻止し様としている様だ。中国政府主導で、中国国内では韓国たたき、いじめを進めているが、これを六か国協議の中で、北朝鮮とロシアの援護を要請する魂胆は見え見えで、日本もアメリカも承知している。韓国は朴政権の崩壊で、当分分裂と混乱が継続し、韓国の立場は混乱状態で、意思決定も出来ない。また朴政権後の新大統領は、親中派、親北朝鮮派の文氏が予測されている為、この新政権の誕生後、早急に六か国協議開催を目論んでいる様だ。これにより、韓国を中国側に取り込み、アメリカとの分断を北朝鮮やロシヤと共に実行しようとしている。六か国協議の提案は、日本にとっては、何の意味も無い会議で、「中国政府の目論みに騙されるな」と多くの人は心配している。

2017年3月13日月曜日

中国政府とロシアは必ず北朝鮮を擁護

中国政府とロシア政府は「何が有ろうと、常に永遠に北朝鮮を擁護する立場」にある。その理由は「ロシアが北朝鮮の金ファミリーと北朝鮮を誕生させた」からである。また、北朝鮮、ロシア、中国はいずれも共産思想で共通しているからでもある。更に、政権運営が「中国政府、ロシア政府は一党独裁政権」北朝鮮は「金ファミリーの独裁政権」である事。それに加えて、ロシアのプーチン氏、中国の習近平氏はともに、北朝鮮に習って、独裁政権を推し進めようとしている事も共通点である。六か国協議と言うより、共産国家と資本主義国家で有事になった時、中国、ロシア、北朝鮮は、いずれの軍事強化し、核兵器を所持。一方資本主義国家は、アメリカ主体で、日本、韓国、近隣東南アジアは核兵器を所持していない為、世界戦争が起こった時には、短時間で、共産国家が、世界を支配する事になる。以上の事から、「中国、ロシア、北朝鮮は、常にそして永遠に『持ちつ、持たれつの同盟国』である為、相互に協力、依存、擁護は継続される」のである。それ故、中国政府やロシアが国連で北朝鮮への制裁が合意された事案でも、決して北朝鮮に制裁措置を実行する事は無いのである。

中国政府の悪質妨害

中国政府は韓国の高高度防衛ミサイル(サード)の配備に対し、一般市民を利用した「不買運動、デモ、店舗閉鎖、芸能関係の公演禁止などの反韓運動」に飽き足らず、今度は航空路線の閉鎖まで実行しようとしている。実に最悪で、中国政府の悪質さと性質の悪さを露呈し、「中国政府の思い通りにしないと、とことん何でもやるぞ」と、本音、本性を現した。身勝手で世界平和を乱す恥知らずな中国政府、今後は世界中から、報復される事になり、世界中が中国製品の不買運動、首脳会談や世界での協議から除外される事になるだろう。本当に「中国政府と北朝鮮は、世界の邪魔者、厄介者、役立たず我儘政府」としか言いようが無いと、世界中で益々中国政府嫌いが進んでいる様だ。これも全て「中国政府の自業自得」で、「中国政府の崩壊と消滅を世界中が望んでいる」という事になるのだろう。

中国政府と北朝鮮は、朴大統領の失職に大喜び?

韓国の朴大統領が、憲法裁判所から「弾劾が適切」との最終判断が出され失職した。韓国では次期大統領が誰になろうが、親中派の候補者が勝利する傾向も強く、中国は「サード(高高度防衛ミサイル)を撤去する様、交渉出来るかもしれない」と考え大喜びしている。中国政府のサードに対する嫌悪感は異常な程で、何が有っても韓国のサード配備を阻止したい意向である。また、次期韓国大統領は誰であれ反日傾向で、北朝鮮との統一を推し進め様とする為、韓国と米国、日本と韓国の分断が可能となり、中国政府にとって都合が良くなるからである。次期大統領が親中派になれば、韓国はアメリカと距離を置くようになり、また日本と韓国は今後益々溝が深まり、日韓関係は悪くなる一方と予測され、中国政府は大喜び、一方日本政府は頭を悩ませている。中国政府は次期韓国大統領誕生後は、積極的に接近し、サード撤廃と韓国取り込みに精力を傾注するであろう。
危うし日韓関係、米韓関係、日米間関係。

2017年3月12日日曜日

中国政府のサイバー攻撃=盗人国家

中国政府の国家ぐるみのサイバー攻撃は年々酷くなる一方で、アメリカのみならず、世界中の事がいつも気になり、にサイバー攻撃を継続している。中国政府は自分たちで考え、行動する事や能力が無い為、常に他国の物を盗もうとする。中国政府は他国の事が何でも気になり、他国で開発された最新の機器関係、軍機関係、ありとあらゆるの物をサイバー攻撃で、情報を盗み、入手し、中国が最初に開発したかの様に、世界に訴えるのである。何と卑劣極まりない国家であろう。中国政府主導で連日行われている、他国での機密情報入手のサイバー攻撃は、世界中に対する挑発、侵害行為であり、知的財産の搾取、窃盗で、国際社会は中国政府に対して、何らかの制裁を加えるべきであろう。正に中国政府は、何から何まで「盗人国家その物」と言える。中国政府は他国への侵害、盗作、搾取、窃盗を何とも思わない国故、今後も永久にこの横暴が世界中に対して続けて行くくのかと思うと、世界中の国々は本当にやるせない思いであろう。

中国政府はこの世の大迷惑国—香港、台湾が犠牲

香港が中国に返還されて、本来所有していた香港特有の素晴らしい物が、中国政府の「自由を認めない締め付けと暴挙」によって、香港独自の良さが失われてきている。香港に住む人々も、中国への返還時から、中国の横暴さに嫌気を指していたが、近年益々中国政府の規制、干渉、監視、自由剥奪、人権、人命軽視等が厳しくなり、中国政府から派遣された行政関係者以外は、「中国大嫌い、中国出て行け」と連呼している。また、台湾も「一つの中国」と称して、中国政府の思想支配、人権無視、言論の自由、色々な権利剥奪、締め付けを強化している。台湾の学生や若者が、反中国を掲げ、中国政府に対抗しようとしているが、国家権力と暴力でことごとく弾圧され、人権侵害や人権、人命無視の暴挙に苦しんでいる。中国政府は支配欲が強く、「他人の物もこの世に有る物全て俺の物」「誰であれ、何処の国であれ、中国に服従せよ」と言う思想で、実に恐ろしい国で、国際社会、地球上にとっては大迷惑国家である。中国政府のこの様な支配欲は永遠に改善される事は無いのか?

中国政府の「嘘つき外交」を世界は承知

つい先日、北朝鮮がミサイルを4発発射し、日本のEEZに着水した。金正恩が指示を出し、兄の金正男をマレイシアの空港で、VXを用いて暗殺させた事を世界中に報道され、その騒ぎの目くらましの為、ミサイルを発射したという見解もある。一方、中国政府は「米韓軍事演習が北朝鮮を刺激している為」と異なる見解をしたが、中国政府の本音は「韓国へサードを導入した事」が、北朝鮮を刺激したと間接的に触れたかったようだ。その上で、中国政府が「北朝鮮とアメリカ、韓国の仲介として、この緊張状態を解決する為、協力、貢献したい」と述べた。「中国政府が北朝鮮と韓国の緊張状態解消や問題解決など出来る筈も能力も気持ちも無い」と世界中は考えている。。「中国政府の狙いは、仲介と言いながら、韓国へのサード導入を阻止する事と、米韓の亀裂、分断が最大の目的である事は明白」とアメリカ、韓国の政府関係者は読んでいる。「中国政府は自分の利益になる事しかしない」事は、世界中に知れ渡り、本気で「北朝鮮と韓国の問題処理や緊張緩和の為に、貢献、協力、気持ち等無い」事は、世界中が承知の事で、決して「中国の様な嘘つき政府」に、この問題で介入させる事は無いと考えている様だ。中国政府を信用、信頼している国など、有るのだろうか?どうせ中国政府に任せても、北朝鮮の支援に回るだけで、問題解決とほど遠い結果に終わる事を、韓国もアメリカも承知している様だ。 

2017年3月11日土曜日

中国政府の国際舞台での仲介は最悪

中国政府の外交では二枚舌、三枚舌など当たり前。以前北朝鮮を含めた六か国協議では、中国政府の主導的役割を、参加国はじめ世界中の首脳は、問題解決に大いに期待した。しかし、結果を見てみれば、常に北朝鮮の立場を擁護し、中国政府は全くの役立たず。北朝鮮の核開発、ミサイル開発に中国が陰で協力、支援し、現在の北朝鮮の核やミサイル装備を許してきた。国連でも北朝鮮の核実験、核開発、ミサイル試射などで、国連安保理での制裁についても、中国は常に「北朝鮮を刺激するような制裁はすべきでない」と、常に擁護した為、北朝鮮の更なる核開発、核実験、ミサイル開発を容認し、協力して来た。中国政府は国連でも「表向き国連での決議に賛同、裏では可能な限りの協力、援助」を継続してきた。要するに中国政府と北朝鮮は、切っても切れない同盟国と言える。北朝鮮の為なら、中国政府は「秘密裏に」何でもする、全く信用できない国である。「北朝鮮は中国政府の楯である為、両国の関係は永遠に切れる事は無い」と世界中の首脳も認識し、中国政府を全く信用もしていない。

中国は他国の知的財産のパクリで発展

中国の経済発展は、自力の知性と英知で発展した国では無く、他国の知的財産、作品など、ありとあらゆる使えそうな物をコピー、パクリ、盗作で発展した。中国は他国の知的財産のパクリ、盗作、コピーが無ければ、目覚ましい経済発展は無かったことだろう。中国の歴史は世界的にも実に長い物で、中国人は誇りにしているが、他国の知的財産の無断使用も、今もまだ続き、中国の歴史並みの長さである。海外旅行で偽ブランドで摘発された時、殆どの物が「中国製」で没収される、日本のみならず、世界中の旅行者が困っている。また最高級品を産出している世界中のブランド会社は、中国の悪質な偽物作りに被害を被っている。しかし、中国政府は「中国の経済発展の為」と黙認と言うか奨励さえしている。中国は何と世界中に迷惑を掛けて居るのだろう、中国には国際協調、国際融和、相互協力、良心など考える事は無い民族なのか?「中国の様な、礼儀知らずのおぞましい国が、この地球上から無くなれば、世界はどれ程平和で素晴らしい地球になるだろうか」と、世界中の人々は考えている。

中国政府主導で、一般市民を反対運動に利用?

今、中国の都市部を中心に、韓国のサード導入反対運動が激化し、韓国に関するあらゆる事柄に対し、嫌がらせを毎日続けている。中国で実施される、一般市民の反日、反韓、反米など、暴力行為を含めて、ありとあらゆる反対運動やデモ行進や暴動など、中国政府が指示して行わせている物である。中国政府が一時的に、一般市民を日当を払って雇い、「この程度の反対運動をする様に」と伝える。一般市民も、一時的に臨時収入が入ると「反対運動の意味や内容も全く知らないまま、金が貰えるから」と喜んで、反対運動をする。反対運動に対する政府報道官は、「この様に一般市民が反対してるのだから、考え直せ」と言わんばかりに、反対運動を容認、奨励するコメントを出すのである。中国政府のやる事は、殆ど全て汚い、嫌がらせであるが、一般市民を金で雇い、巻き添えにして「中国国民が怒っている」かの様に演出するのである。「中国政府のやる事、考える事は、本当に下劣その物」と世界中が迷惑がっている事を、中国政府は認識すべきだ。中国政府は思い通りにする為には、手段を選ばない「何でもありの反平和主義国家」の様だ。

2017年3月10日金曜日

中国政府の言う「世界平和への貢献」は詭弁

中国政府は、事ある毎に「中国は世界平和の為に貢献する」等と、心にも無い綺麗事を言うが、世界中の人々は全く信じていないし、「また中国政府の詭弁か」と呆れている。その根拠となる物は、既に世界中の人々が知っている様に「東シナ海、南シナ海の一方的な領海略奪と軍事拠点化」、尖閣諸島を自国の領土と主張して、挑発行為を繰り返している。更に海底資源調査を勝手に進め、海底資源を搾取するという、実に悪質な行為を続けておきながら「世界平和」と言っても、世界中の誰一人として信じる者は居ない。中国政府も、自分たちの白々しい詭弁を、世界がどの様に認識しているか予測はしている様だが、他国には文句や批判を言わせない為、軍事費を増大し軍事力を年々強化している。中国政府は「言っている事」と「行動している事」が、全くデタラメである事に気ずか無いほど、馬鹿な一党独裁政権なのだろうか?他国に迷惑ばかりかけている中国政府、それにしても呆れ果てた国だ。

中国政府は個人に、人権や自由を与えない

中国政府は一党独裁政権である事は誰もが承知である。現習近平政権では一党独裁政権から習近平独裁政権に移行しようとして、北朝鮮同様、一般人民、個人には基本的人権、言論の自由など一切与えず、習近平に忠誠を誓わせ様としている。習独裁政権の為に,政権の意向に反する知識人や人権活動家を厳しく取り締まり、政府にとって不利益になる様な優秀な人材は「危険分子」として、刑務所に収監している。収監した人間には、思想教育をして、政府の思い通りになれば、釈放、言う通りにしなければ、言う事を聞くまで刑務所入りである。又現政権の中でも「役人の腐敗防止、撲滅」と称して、習近平政権に忠誠を誓わない、好ましくない人材を処分している。一般市民が政府を批判したり、習近平政権に不平不満や苦情を言うなら,「国家反乱罪」として刑務所入りである。中国政府とは何と恐ろしい国家だろう。日本人は中国政府に比べれば、基本的人権、言論の自由など保障されており、正に天国と地獄の差と感じるであろう。「習近平と金正恩は同類項で、この両名は世界を混乱させる異常者」と世界中の著名人は指摘している。今後の中国の動向には十分注意を要するようだ。

中国政府の悪質な弾圧は、非人道的

韓国が自国防衛の為のサード導入に中国政府は猛烈に反対し、一般市民を金で雇って、「韓国人出て行け」と大騒ぎさせ、店舗に対しては中国の基準違反で閉店を強制し、車、食品の不買運動を煽動、韓国旅行販売中止、芸能人の講演禁止など、出来る事は何であれ、韓国いじめを展開させている。正に中国政府らしい嫌がらせのオンパレードで、何とかして韓国のサード導入を阻止し様としている。韓国が自国の防衛に対して、中国が如何こう言う筋合いは無いし、如何こう言う権利も無い。「韓国のサードの導入は、中国の軍事面での干渉、監視となる」と難癖をつけ、可能な限りの嫌がらせをしてまでも、中国政府の主張を押し通そうと弾圧を強化している。何と酷い身勝手な国だろう。中国政府は正に世界中の迷惑国以外の何物でもない。中国政府の嫌がらせや弾圧で、韓国は経済的苦難に追いやられているが、「中国政府の様な下らない、価値の無い国」など相手にしないで、韓国の為に成る国々と緊密に付き合えば良い。「中国政府などと関係を持っている国は、いつも脅され、嫌がらせをされ、将来自滅するだろう」と警告を発する学者が世界には多い。身の程知らぬの自惚れで、身勝手な凶悪中国政府には、その内天罰が下るだろう。

2017年3月9日木曜日

世界最悪国の一つーー中国政府

世界最悪の国家と言えば、北朝鮮と考えるかもしれないが、北朝鮮が独裁政権、荒唐無稽で世界を騒がせているが、今の北朝鮮にしたのは中国である。中国は北朝鮮をいつでも潰す事も出来るし、急いで「北朝鮮を亡き者にする」必要も無く、利用できるだけ利用しようと、国連で合意した制裁決議にも従わず、裏でいつも支援してきた。中国は世界制覇、世界支配を昔から目論み、金と軍事力で、他国を脅したり、他国の知的財産を承諾も無く利用し、ありとあらゆる悪辣な事をして、現在の強国に伸し上った。この様な事を許した世界各国にも責任が有るが、中国政府は、他国には干渉し、文句を言うが、他国が中国政府に何か言えば「干渉するな」と、聞く耳を持たない、実に身勝手な国家である。世界中の国々、知識人は悪質な国家は数々あるが、「中国は世界でも最悪国家の代表で、中国がこの地球上にある限り、世界が平和になる事は無い」と断言している。中国政府には良心と言う言葉や、本気で世界を平和にしようとする姿勢は、永遠に無いのだろうかね。

高齢者も恋をすれば、若返る?

ある程度の年齢に達した人ならば、誰しも何度か恋をした経験が有ると思う。恋を経験した事のある人ならば、誰もが「恋をする事は神経が結構疲れるもの」である事が分かると思う。恋をする、人を好きになるという事は、「相手から好かれよう」「自分の魅力を見せよう」と、一生懸命知恵を絞る行為で、脳を最大限活性化させる、脳の機能向上活動と言える。恋をすると色々な話題について相手と話し合い、「好かれよう」とする為、一人で時間を過ごす時でも「相手に嫌われない様にする為」人間的に穏やかにもなり、感情を調整する機能も進化する。また高齢者になってからの「恋」は、若い時代の「恋」よりも、人生経験も豊富で、話の内容にも深みが出るし、正に高齢者の脳活性化、認知症防止として、最高の神経細胞や、身体面でもホルモン代謝の活性化にもつながり、若さを維持できると考えられる。高齢者、老人などと言って家に閉じ籠って居るよりも、人生の若返りと、楽しい恋でもしてみては如何でしょうか?人を好きになる事、恋をする事は若返りの秘訣かも?でも恋をするなら、認知症になる前にね。

高齢者は他人と話している時は、若くなる。

高齢者は必ずしも、いつも高齢、老人と言う訳でもない。一人で何気なく過ごしている時間は、結構年相応の老人らしくなっている事が多いが、他人と趣味、家族、若かりし時の事、恋愛時代、旅行、運動など何気ない話、何か特定の話題で話している時は、脳が活性化し、可なり若くなれる様である。特に、同時代の高齢者と話すよりも、若者と話す時は、高齢者も自分の若い時代に戻り、更に脳の活性化が起こる様で、「今でも若者には負けてないぞ」と、元気になる物である。当然身体的には若者に叶う筈はないが、脳の方は急に走馬灯の如く、若い時代の記憶に戻り、色々な事が思い出される物である。これが脳の活性化となり、脳の老化、認知症の防止にもなる様である。高齢者、老人だからと言って、家に一人で何気なく時間を過ごすのではなく、積極的に人と接触し、どんどん話をする事を進めたい。可能なら、若者と話す事、更に可能なら、異性と話す事で更に脳に刺激がある為、活性化が益々促進されるので、お勧めしたい。高齢者、老人と言えども異性と恋愛の話でもしたら、一挙に若返るのでは?是非お試しを!

2017年3月8日水曜日

超高齢化社会を迎える日本に未来はあるか?

高齢化社会は日本のみならず、中国、韓国、その他の諸外国でも深刻な問題になって来ている。社会福祉国家では、高齢者は日本に比べ、かなり手厚い対策が講じられている。しかし日本では、これら福祉先進国家に比べれば、何ともお粗末な高齢者対策と言えるかもしれない。勿論、中国、韓国では高齢者が「世の中のお荷物的存在」になりつつあり、高齢者も社会からの疎外感、生活苦などの理由から、自殺者が増加している。日本では年金で人並みの生活も出来ず、貧困高齢者も「人間らしいまともな生活も出来ないし、今後も豊かになる可能性も期待も出来ない」と考え、老々介護家庭では心中、独居老人は自殺を考え、命を絶つ人達も増えている。今後益々少子高齢化も進み、未来に大きな希望や可能性も期待できない、不安の多い日本になる可能性が大である。また少子高齢化社会が更に進む日本では、高齢者を少数の若者で支えて行かなければならない為、若者の負担も増大し、若者にとっても明るい日本を期待する事も出来ない。日本政府は本気で、少子高齢化社会の日本を、如何に老若男女が、人間らしく、楽しく、心豊かに暮らせる様、対策を練る必要が有ろう。高齢者の中には「動物園の動物の方が、高齢者より贅沢で優雅な生活をしている」と羨み嘆く声も多い事は実に悲しむべき日本と言える。矢張り日本の老人、若者には明るい未来はないかもね~。貴方は日本の未来にどれ程期待、希望をお持ちですか?

過疎地域で高齢者が運転出来なければ…・

山間僻地、過疎地域で老人夫妻だけで生活している人や独居老人の人達に、運転免許証を返納するよう要求すれば、これらの人達はどのような生活を強いられる事になるのだろう。公共交通機関が十分整備されていない地域に住む人たちにとって、日常生活用品や食品、病院に行くにも、自分で車を運転して行かなければ、何も入手できず、じっと死を待つしかないのだろうか。高齢者、超高齢者が、自分の事を分かっており、誰一人として危険を承知で、自分で運転して出かけたいとは思わないだろう。生きる為、出かける必要性に駆られて、嫌々ながらも自分で運転して、生活上の必需品や病院通いなどをしている筈。充実した公共交通機関があれば、高齢者も超高齢者も喜んで、運転免許証を返納して、公共交通機関を利用して出かけたいであろう。高齢者も超高齢者も、自分の運転よりも、公共交通機関の方が運転が上手いし、安心だし、気楽である事は十分承知の筈。(超)高齢者の免許証返納を求める以前に、まずは行政サービスとして、国民すべてが共通して、安全、安心して生活できる様、公共交通機関の整備、充実を用意すべきであろう。最近の法的規制は「高齢者、老人を排除しようとしている様な気がする」と多くの高齢者は感じている様だ。

高齢者ドライバーの免許証返還制度

近年高齢者ドライバーの事故が社会問題になっている。確かに高齢者ドライバーの事故の頻度は高い様だ。この原因として、高齢者の脳機能や身体的、運動機能の低下が原因とされ、特に認知症運転者による事故である。一般に公共交通機関が確保されている地域では、車を保有しなくても、日常生活に支障をきたさないかも知れない。しかし地方では都会とは異なり、公共交通機関が網羅されていない為、自分の車が無ければ、日常生活に大きく支障をきたす地域は沢山ある。特に山間僻地、過疎地では車が無ければ、死活問題になる事もある。更に老夫妻、高齢者一人での生活を強いられる場合は、車が無ければ生活維持が困難になる。この様な人たちにとって、高齢者の為、認知症の疑いがある為、車の運転技術に問題が有るとして、運転免許証の返還を強いる事は、「生きる事を諦めなさいという死刑宣告を受けている」と考える高齢者も多い。日本全国一律に、高齢者の免許証返還を強いる事は、納得出来ない人は多い様だ。高齢者免許証返還制度に関しては、もう少し柔軟性を持って考える必要もありそうだ。どうしても返還制度を強制するなら、公共交通機関の充実をまず準備し、高齢者が車を運転しなくても日常生活に支障が無い対策を整え生活の確保と保障を整備するべきであろう。

2017年3月7日火曜日

親の後姿を見て、子は育つ?

高齢化した我が親を見て、「私はこの親の後姿を見て、何を学んだろう」と考えた事はありますか?親の子育て期間中、子供は成育過程で無意識の内に、色々な事をたくさん学んでいる事は事実でしょう。子供は親から愛情一杯に育てられている環境の中で、親の良し悪しに関わらず、良く観察をしている事は誰もが感じる事です。子ど達が「OOごっこ遊び」「ままごと遊び」をしている時の話し方、話す内容をよく観察していると、「親の話し方、話す内容、言葉使い」等、正に親が話している通りに話している事に気ずいて、ビックリした事が有るでしょう。子供が独立し、社会に出て、結婚して我が子を育てる時には、自分の親に育てられた「その育て方」を無意識の内に模倣している。正に高齢化した親から、子供は直接指導されなくても、後姿を見て、多大な「知恵、知識、生き方、動作の仕方、社会常識」など多大なる宝を学んでいる事を、感謝しつつ、もっと認識すべきではないでしょうか?親はいつも素晴らしい教授であり、神的存在かもしれませんね。

高齢化~超高齢化社会で考えるべき問題

高齢者が医療機器や技術の発展や医薬品の研究開発が進み、日本人の寿命は益々延び、高齢化社会から更に一歩進み、超高齢化社会を迎えている。超高齢化が進むと、独居老人が増えると共に孤独死も増えると言える。また超高齢化した人達は、一人で家に閉じ籠り、自分の住んでいる地域の人々との交流も避け、社会的孤立を促進させ、周囲のあらゆる事柄が煩わしくなり、益々引き籠る傾向にある。超高齢化した独居老人は、極力人との接触や意思疎通を避けようとする為、生活ゴミの処理も家の中や周辺に貯めこみ、ゴミ屋敷の原因となり、近隣住民とのトラブルにもなっている事例は多い様である。この様な状況の中で、超高齢者が孤独にならない為の、行政援助や支援の働きかけがなければ、決して解決できない複雑で厄介な問題である。行政はそれなりに努力lはしているのだろうが、完全解決に至らなければ、対策、支援が十分とは言えない。高齢者、超高齢者が地域や社会からの孤立を防ぐ為、行政側の更なる努力、行動力が問われ、求められると考えるが、如何かな?(超)高齢者は「今後どの様に社会と付合えばいいのだろう?」と疑心暗鬼になり、「出来れば付合いたくない、関わりたくない」と考えて閉じ籠っている人が多い様だ。

老々介護での心中に心を痛める

今の高齢化の進む日本では、人知れず老々介護で、身も心もすっかり疲れ果て、「生きる喜び、生き甲斐、生きる目的」など何も考えず、ひたすら長く連れ添ったパートナーに、誠心誠意、全身全霊で介護に専念している人達は少なくない。しかし、残念な事に、高齢の為、介護する側にも身体的、精神的、経済的にも限界があり、最終的に「もうこれ以上介護は出来ない」「家族にも誰にも迷惑かける事も出来ないし、最終手段で最善策として、パートナーと共に死のう」と考え、心中する高齢者は多い。心中しても、どちらか一方が生き残った場合、法的には「殺人罪、自殺幇助罪」として扱われ、裁判にかけられる事になる。「老々介護がどれ程過酷で大変な事か」など、それ程酌量される事なく判決が言い渡される事もある。誰も「長年苦楽を共にしてきた最愛の人間を殺したくて、自分で死にたくて、伴侶と心中したくて、大切な人を死に追いやったりする訳もそんな人もない」のだ。老々介護での諸事件(犯罪?)は、情状酌量で、特別な対処法や寛大な裁定を出来ないのだろうか?老々介護で、心中に失敗し、生き残った時、「自分だけが生き残った事、パートナーを死なせた罪悪感を背負い、余生を犯罪者として刑務所で過ごす」には、余りにも残酷な人生終末と考えるが、如何だろうか?現代の日本、未来の日本、益々深刻な超高齢化社会となって、先行き見通しは暗いように思言えるが、如何だろう。

2017年3月6日月曜日

老々介護は想像を絶する過酷な事

つい先日、長年連れ添った大事な奥さんが認知症になり、奥さんの介護に疲れ切り、「心で深く詫びながら、愛妻をあの世へ送り、その後自殺を試みたが、失敗に終わり逮捕された」と言う実に悲痛な報道をご存知だろう。老々介護と言っても、実際に経験をした事の無い人には、「どれほど過酷な事であるか」想像も出来ない事であろう。老々介護は、身体的、精神的、経済的、社会的にも究極に追い込まれる程、想像を絶するほど過酷な状態で、高齢者にとっては「生きる価値や意味」が全く見い出せなくなり、最終的に死を選ぶことが、最終で最善の結論となる事が多い様だ。老々介護や孤独死や独居老人は、今や日本社会では大きな問題であるが、解決策は殆ど検討されていない様で、今後もこの様な悲劇が繰り返され、増え続ける傾向にありそうだ。政府や政治家は「高齢者の手厚い扱いを考えている」と言う様な事を述べるが、実際問題老々介護で心身ともに疲れ、無理心中や自殺などの犠牲者が出る限り、「政府は何も行動せず、対策も改善も進展も配慮もされていない」と言わざるを得ない。国民は、何事も「口先だけ」ではなく「結果」で、政府、政治家を評価する訳で、この様な痛ましく、悲しい現実がある限り、「政府や政治家が老人の為に仕事をしている」とは思えないのでは?美辞麗句の救済宣言はもう結構、確実に結果を出して欲しい、その為には実行あるのみでしょう。

年金で老後を生き延びれるか?--無理でしょう

日本の年金制度は、長寿化により、支給開始年齢がどんどん遅れて来ている。中には「今の若者は強制的に年金を支払わされているけど、老後になった時、本当に支給して貰えるのか?」と疑問と不安に感じている人も多い。今の若者が年金を支給して貰える時には、支給額が幾らになるか分からないが、現時点の支給額から考えて、安定した生活を送るに十分な支給は期待できないだろうし、到底満足できる額の支給を得られないと予測される。勿論、生活費に必要な金額は人によって異なるが、十分な年金受給を得られ、悠々自適の老人生活を過ごす人も居るでしょう。一方、生活保護受給者より低い年金受給者も相当数いるようで、この様な人は、到底安定、安心して生活できる程の需給は望めない様だ。この様な人達は「政府は我々の様な貧乏年金生活者は、生活苦で早く死ぬ事を願っているのだ」と、「僅かな年金では生活できない事」を訴えている。老人と言えど、以前は国家発展、社会発展の為、身を粉にして働いて貢献して来た人達であるが、安い年金で安心して生活できない様な冷遇を、何とかして改善する必要が有ろう。でも政府は本当に高齢者、超高齢者の長寿を迷惑と考えているのか?

年老いた自分の親をどう扱う?

「年老いた自分の親をどう扱って良いか分からない」と悩み、嘆く声をよく聞く。貴方なら如何扱うべきか、良くお分かりと思うが、如何でしょう。基本的に「人間の喜怒哀楽の原則は変わらない」という事を知っていれば、それ程悩み、扱いの難しさを感じない筈である。自分の年老いた親を見て、「如何してやれば、親孝行、親への恩返しが出来、親に喜んでもらえるか」を考える時、自分と親の立場を変えて考えれば、答えは容易に出てくるのでは?即ち、自分を年老いた親の立場になって、「如何して貰えれば嬉しいか」を考え、行動すれば良いという事である。逆に「如何したら嫌な、悲しい思いをするか」を考えれば、「年老いた親にすべきでない事、言ってはならない事」が分かる筈である。老いて先行き短い親に「親孝行と恩返しをして喜んで貰っても、嫌な思い、悲しい思いは極力避けるべき」と思うが如何だろうか?一つ気になる事は、親子関係にある為、何をするにも「今更こんなことして」とテレや気恥ずかしさが有るかもしれないが、ここは割り切って「親孝行」の一点に集中すべし。

2017年3月5日日曜日

老人(自分)は老人(自分)らしく生きれば良い

「永遠に若く生きたい」「永遠に美貌を保ちたい」「永遠に生き延びたい」等と、実現不可能な事を願う人が居るが、この様に考える事は、「自分が年を取った」「老化して来た」事を認める事である。人間が幾ら優れた生物であろうとも、自然の摂理を決して克服し変える事は出来ない。この事は誰もが知っている事だが、「人間は我がまま、駄々っ子、無い物ねだりをする生き物」である為、叶わぬ願望を、無駄と思いながらも望んでみたりする。何故自分に与えられた運命、宿命をそのまま受け入れ、「いくら年を重ねても、自分らしく生きる事」を考えないのだろう?「老人は老人らしく、年相応に自分らしい生き方」が有る筈である。自分を他人と比べて生きても、何の意味も無い。最終的に自分が死を迎える時、「自分らくし生きた人生で、この世に生まれて来た事に満足で思い残こす事も未練も無い」と考えれれば、最高の人生だろう。この為には「一日一日を大切に、自分らしく有意義に過ごせば良い事」である。その為には自分は、年齢に関係無く、人と比較する事無く、見栄を張る事なく、「自分は日々どの様に過ごせば良いか」が理解できる筈である。人間の慾は霧が無いので、叶わぬ願い事は程々にして、今を大事に生きる事が、人間に求められる事であろう。

「後回しでも良いか」は老化の症状

若い頃は「何かやろう」と思い立った時、「直ぐに行動する」事が出来るが、老化してくると、何かやろうと思い立っても、若い頃の様に、直ぐに行動を起こせない。「これをやらなくてはいけない」「これをやろう」と思っても、「後回しでも良いか」「今やらなくても良いか」「やらなくても何の問題も無いか」等と、行動しなくて良い理由ずけをして、納得し、いつの間にか「やろうとした事」を忘れてしまう。老化すると、行動する時に、即刻行動する事なく、何らかの理由付けをして、やるべき仕事を避け様とする。この様な考え方や行動の鈍化は、「老化の一症状」と考えておいた方が良い。自分の老化を避けたければ、「思い立ったら、即実行」を常に意識し、それを行動に移す事かもしれない。要するに、「老化」すると「何をするにも面倒くさがり、後回しにする」と言えるかもしれない。見方を変えれば、「考え、思いついたら、即行動に移せる人」は、まだ老化はしていないと考えられるかもしれない。貴方は「即実行型」「後回し型」のどちらのタイプでしょうか?自分を若く保ちたいなら、即実行、行動力を鈍化させない事でしょうかね。

高齢者、老人の脳の機能低下をどう見つける?

高齢になる連れ身体的、脳神経的にも、普段意識的に脳の機能低下防止策を実行し、訓練して居なければ、機能低下が起こる事は、人間にとっては必然的な事と言える。脳の機能低下は本人は意外と気ずき難い物であり、例えその様な兆候に気ずいても、自分では中々認めたくないものである。親族の脳の機能低下に一番気ずき易いのは親子、兄弟、姉妹など、家族関係にある人達である事は、誰もが想像する事が出来る。いわゆる認知症(アルツハイマーも含めて)の一般的な症状例を知っていれば、結構早期に見つける事が出来、防止又は進行減速も可能となる。かといって認知症検査の為に病院に行くのも気が進まな。典型的な症状例は、一度言った事をそれ程時間が経たなくても、同じ事を何度も繰り返し、言ってる本人は全くその事に気ずいていない。また、話をしている時に、「あれ、これ、その」などの代名詞を頻繁に使用し、自分だけが理解、納得して、話を進める傾向にある。更に、自分で何か思い立って、立ち上がるが、何の為に立ち上がり、何をしようとしたのか忘れ、同じ行動を繰り替えす。話している時、口元が緩み、話す言葉にも、いつもの(若い時の)様な締まり、歯切れ、言葉に強さ、抑揚も無くなる。色々な症状例が有ろうが、家族なら親、老人、高齢者のそばにいる為、夫々の話し方などよく知っている筈で、家族、兄弟姉妹、親子、伴侶が一番見つけ易い為、よく観察しておく事を進めたい。

2017年3月4日土曜日

老人は、若者の無駄使いに嘆く

現在高齢者、老人と言われる人達は、戦前、戦中、戦後直後に生まれだろうが、戦前、戦中、戦後間もない頃に生まれた人達は、物不足、食料不足の時代で、食べる事さえ大変で不自由な時代を知恵と創意工夫の中、苦労して生きて来た人達と言える。その為に、物に対する執着が強く、そう簡単に家に有る物、自分の所有物を捨てられない傾向にあるが、若者はこの年寄りの物への執着を嫌がる。現代人と言われる人達は、物に対する執着がそれ程なく、自分の所有物に飽きれば、まだ十分使用出来る物でも、何のこだわり、未練も無く、どんどん捨て、次から次へと買い替えて行く。老人、高齢者に言わせれば「実に勿体ない、まだ十分使えるのに、何故捨てるの?」と無駄の多さに嘆く。今や物が過剰生産され、物が溢れ、物を大切にせず、無駄な消費や進化が年々酷くなるようだ。経済的にも物資の面でも豊かになり過ぎた日本、そんな豊かな生活の中で、今の親子共々「、物の無駄な消費をゲーム感覚で楽しんで居る」かの様に老人には見える。今の若者、親子はもっと、物を大切に、長く使う事を学ぶべきではないかな。「一円を笑う者は、一円に泣く」と言う格言の様に、お金、物、資源を大切にしないと、本当に地球は滅びるよ!若者よ、老人から「知恵と生き方」を学びなさい。貧困になってから考え直しても、その時は再起不能で、遅すぎる事を知るべし、

高齢なんか怖くない!

急速に少子高齢化が進む中、全ての人ではないが、「高齢化して行く自分に、不安感や時には恐怖感を感じている人」は少ないくない様だ。「高齢になる自分」、「死を迎える時期が迫っている事」それともその両方に不安を感じているのだろうか?人間の運命と全てを有るがままに受け入れる覚悟が有れば、何も不安、恐怖に感じる事は無いと思うが、如何でしょう。不安や恐怖を感じる事よりも、「今この時を、趣味、旅行、読書、勉強、運動、仲間とのお喋り」等々、何でも良いから
自分らしく楽しむ事が有れば、高齢者と言えど、結構楽しく、充実した日々、時間が過ごせ「生きる事もこれまた楽し」と思えるのでは?人間は欲が深い生物ゆえ、「長生きしたい」「いつまでも若く居たい」「年を取りたくない」「病気をしたくない」「寂しい日々を送りたくない」等、欲を出せば、この世に未練ばかりが残り、自分のやりたい事、やるべき事、出来る事が見えなくなるのでは?少なからず、私は自分に降りかかる事は、全て運命と受け入れ、「高齢」など怖くないし、むしろ、年相応のやるべき事を実施し、生き方を楽しんでいる次第である。「生命の有るものは必ず生命の絶する」、これが生物の定め。貴方は日々楽しみ、人生を楽しんでますか?

貴方は高齢者対策を考えています?

人間は必ず年々年を重ねて行き、必ずいつかは高齢者や超高齢者となり、身体的にも、精神的にも退化して行く事を避ける事は出来ない。高齢化すると共に、我が子も自分の家族を守る為忙しく、高齢化した親の相手も十分出来なくなる事は明白である。高齢化した親は、年を取る毎に孤立化し、孤独感、疎外感を感じる事になるが、親族関係であっても、頼りには出来ず、自分の責任において、ギリギリの生活費で、何とか遣り繰りしながら、生きる事を強いられる。そこで、心身共に健康で、柔軟性を持って考え、行動できる間に「自分の高齢化対策」を、しっかり考え、計画しておく必要がある。何も対策も考えず、準備もしないで、高齢の時を迎えた時には、本当の意味での「孤独」「生き甲斐なし」「何ら趣味、友達、サークル活動、学びたい事」等々、生きる糧も何もなく、苦しい高齢者時期を迎え、過ごす事を強いられる。経済的基盤の準備を始め、生き甲斐、楽しみ、人間関係など、考えられる限りの高齢者対策、準備をしっかり考えるておく必要がありそうです。貴方は高齢者対策、何か考え、準備してますか?

2017年3月3日金曜日

若さを保つ高齢者の秘策

街を歩いたり、旅行をしている時、「若さを保つ高齢者」と「高齢者らしい高齢者」の両方が目につく。この違いは何だろうと見ていると、「若さを保つ高齢者」は顔の色つやも良く、行動も結構機敏である。一方「高齢者らしい高齢者」は、顔つきにハリと言うか覇気が感じられず、行動も緩慢である。「若く見える高齢者の方々」に話を聞いてみると、共通してい言われる事は「今この時間を楽しんでいる」「やりたい事が沢山ある」「趣味やサークル活動で忙しい」「お仲間と頻繁に集まって、お喋りを楽しみ、良く笑っている」「友達と定期的に運動したり、散歩している」「勉強したい事が有る」等、前向きな姿勢だった。一方「、高齢者らしい高齢者の方々」から話を聞いてみると、「何となく生きていて、楽しみが見つからない」「いつも家で昼寝をしたり、テレビを見ている」「やりたい事、趣味が無い」「お喋りなどする仲間がいない」「家にいて動きたくない」「サークル活動や人と会ってお喋りしたりすると気を使ったりするのが面倒」等、ちょっと消極的な考え方や行動を感じた。若さを保つ秘策は「人と頻繁に会ってお喋りしたり、運動したり、日々忙しく行動する事と生きる事を楽しみ、何か意欲的に行動する事」と言えそうだ。私も何か学ばないといけませんね~。

お化粧で老化を隠せるか?

「この化粧品を使うと、OO十歳若返れます」と頻繁に流される宣伝を、テレビでよく見かけるが、本当に「若返られる?」と思わずにはいられない。確かに化粧すれば、表面上は、シワやシミなどは隠せ、表面上の若返りは可能かもしれない。しかし、化粧を落とせば、元の年齢相当の顔になるならば、それ程化粧品に魅力は無いと思う。「年相応にシミやシワが有っても良いじゃないか」と考えるのは、私だけでしょうかね。欧米では「顔のしわは、その人の年輪、歴史」と言って敬意を払うけどね。自分に与えられた運命、宿命なのだから「化粧で一時的な表面的な若返りなど自己満足以外の何物でもない」と考えるが、女性は「いつも若く、美しく居たい」と考えるのでしょね。化粧で表面的に、また一時的に若返りが出来ても、歩く姿は、それ相当の年に見えれば、あまり意味も無ないように感じるけどね。私は「若さは考え方と行動力」と考えてますか、如何でしょう?

「よいしょ」の発声は老化の第一歩?

立ち上がる時に「よいしょ」とか、どっこいしょ」等と、無意識に発する言葉は、老化の第一歩などと言われているが、本当だろうか?確かに立ち上がる時に、無意識にこれらの言葉を、何気なく発する事は多い。若い頃は立ち上がる時に「よいしょ」とはあまり言わないので、「老化の第一歩」と言われれば、それもまた一理あるかも知れない。立ち上がる時、何の支えも無く立ち上がれれば、まだ若いと言えるかもしれないが、年を増すにつれ、立ち上がる時に「よいしょ」と言いながら、テーブルか何かの支えに手を置き、腕の力を借りて、立ち上がる事が多いのは事実である。高齢化して行くにつれ、体力の低下を感じ、事ある毎に「年は取りたくないものだ」とぼやくが、これは人間の宿命で、どんな事をしても避ける事は出来ない。人間は自分の宿命を受け入れながら、心身共に老化を少しでも減速、防止する為、各自の責任で肉体的、精神的、体調管理をする必要が有りそうだ。それでも「よいしょ」とついつぃ言ってしまいますね。我も同様に老化でしょうが、無理する事も背伸びする事も無く、自然の摂理を素直に受け入れましょう。

2017年3月2日木曜日

若者は老人から学ぶべし

以前「老人は知恵の宝庫」とい内容の事を記したが、今の日本は「日本の伝統、文化、習慣、常識」がないがしろにされつつあり、「日本の良さや伝統や文化が消えつつある」と言われている。日本の生活もすっかり西洋化され、若者はややもすると「洋風、洋式の物を模倣する事が良い」と誤解している人が多い様だ。老人は本当に「知恵の宝庫」で、若者は「老人の人生経験、日本の伝統や風習、習慣、人への思いやり」等など、老人の話に耳を傾ける機会を持ち、多くを学ぶべきと考える。日本の古き物には「素晴らしい物が満載」である故、老人と話す機会を多く持ち、日本の良さを是非学んでほしい。老人の人生、即ち老人の歴史と知恵と、その当時の日本事情を学ぶ事で、若者も「日本人として、日本その物を学ぶ」事になろう。自分の親を初め、親の知人、色々な老人から、話を聞く事によって、老人も今の若者やその考え方、生活様式など学べ、相互学習で「価値のある日本」を学ぶ事になろう。「温故知新」と言うが、「老人の話や知恵を聞く事なしに、日本の良し悪しや新しい物など学べない」と思うが、如何だろうか?「老人は人生の先輩で、今迄の人生を過ごす中で、多くの知恵」を得ている筈である。若者の周囲には「多くの学ぶ事、学ぶべき事柄」が溢れて居る事に気ずいて欲しい。若者は老人の知恵、凄さを知らなすぎるのでは?

ロボットやペットで老人の心を癒せるか?

独居老人が寂しい日々を過ごしている事で、一時、ペットが「心の癒し」として、定期的にペットと戯れる様子が報道された。また最近では、ITや人工頭脳の技術を最大限活用し、人間型ロボットが「老人のお相手に」と研究、開発、製造されている様だ。本当に「老人の話し相手に人間型ロボット」や「犬や猫などのペット」が、老人の「心の癒し」になるのだろうか?確かに珍しい事で、一時的な「慰めや癒し」になるかもしれないが、果たしてどの位の期間有効なのだろうか?例え人工知能を有するロボットでも、「老人との話し相手になる」と思うかもしれないが、「心の癒し」は「機械や人形と話している」と認識した時点で、「癒しは消えてしまう」と思われ、それ以降は「お喋り人形」と扱う事になろう。「脳の機能低下防止の為に意思疎通を図る」という点では、ある程度に人間型ロボットも効果が有るかもしれないが、心の癒しには程遠いと考える。本当の「心の癒し」は、何といっても「人間同士の意思疎通や触れ合い」が重要で、機械、人形、ペットでは一時しのぎの道具でしかないと思うが、如何でしょう。個人的な意見であるが、老人の相手に「機械やペット」で代用する事は、「人間の尊厳をないがしろにする行為で、人間に対して失礼」と私は感じている。

一人暮らしの高齢者は、日々何を楽しみに生きる?

老若男女に関わらず、一人暮らしは、少なからず寂しさを感じるのではないだろうか?常に一人暮らしで生きて来て、一人暮らしに長年慣れていればそれほど寂しさや、孤独感は感じないかもしれない。しかし、通常の人は、少なからず家族と共に生きて来ている筈で、一人暮らしになった時、侘しさ、寂しさ、切なさを経験する事がある筈である。まだ若い時なら、親から目や干渉から解放されて、一人暮らしも良いかもしれないが、高齢者になった時の、一人暮らしは、何とも言えない寂しさ、孤独感、疎外感、惨め感は辛いものと想像する。一日の内、家事や雑務で、仕事をしている時は仕事に集中し、まだ寂しさも紛らわせる事が出来るかもしれないが、一段落した時、高齢者は一人で何を楽しみに生きて行こうとしているのだろう。一日中テレビを見て時間を過ごすのだろうか?殆どの親、高齢者人は、子育てに熱中し、気が付いたらいつの間にか高齢者になって「一人で過ごす事になるかもしれない」という事を意識して「老後に何をするか、何らかの対策や生甲斐」を見つけておかないと、本当に寂しい人生終盤を迎える事もあり得る事を、しっかり認識しておく必要が有ろう。高齢の親の姿は、自分の未来の姿、貴方の老後対策や生甲斐、楽しみは見えてますか?

2017年3月1日水曜日

親に心配かける事は、親孝行?

「親にいつまでも心配かけると、親は長生きするもの」等と昔は言ったものだ。心配かけられる親も大変だが、「我が子が心配の種になっていると、安心して中々病気もしてられないし、死ねない」と、親は結構喜んで話していたものだ。確かに「我が子が心配であれば、心の休まる事、緊張感から解放される事も無く、必死に頑張って、病気もしないで日々活動的になる」事は事実のようだ。この世の中、何が親孝行なのか「心配かけて、親に病気にもさせない事?」それとも「心配を全くかける事なく、親に安心感と満足感を与える事?」  しかし社会貢献が出来る様になれば、親元から、生活面でも経済的にも独立したなら、「親に心配をかける事は不幸」と考えるのが一般的だと思うが、どうだろう。これからは「子供が親への恩返し」で、「親を心配し面倒を見、世話をする」のが、親孝行ではないかな?貴方はどんな親孝行、恩返しを考えてますか?

親は如何いう時に癒されるか?

親は我が子の成長と成功を常に願いながら、子育てに専念するが、やがて、我が子も立派に成長し、独立して親元を去る時が来る。親元を去れば、去ったで「元気にしてるか?」「何か困っている事は無いか?」「人に迷惑を掛ける様なことしてないか?」等々、心配し続ける傾向にある。親のその様な心配を他所に、子供は独立して、ちゃんと社会生活をしているのだが、いつまで経っても我が子の事を考え、心配するのが日本の親の様だ。この様な親の一般的な傾向を知っていれば、「親が喜び、心を癒し、安心させる行為」は、概ね想像できる筈である。しかし子供は諸般の事情で「分かっちゃいるけど、思う様に行動して、親を安心させ、喜ばせ、心の癒し」を、親に与える行動が出来ないものだ。実際に行動出来なければ、「電話で元気な声と近況を定期的に、極力頻繁に連絡する」事で、親はどれ程「心は癒されるか」分かると思うが、親元を離れた子供は「電話」さえ出来ないものかね。「親が勝手に心配する」のだろうが、時には「子供も勝手に親の事も心配」しても良いと思うが、如何だろう。親子の相互の心使いが、「心を癒す」と思わない?親はみんな親バカなんです。

高齢になった親の本音と願い

高齢になった親は、定年退職となり第一線から退き、子供達も社会に出て結婚して独立し、我が家で、長年苦楽を共にしてきた伴侶と2人きりで、共にゆっくり余生を楽しく過ごす事を夢見る。しかし、現実社会は実に厳しく、子供達は成長し、社会貢献、会社勤めで経済基盤を作り、生活を維持する為家を出て働く。子供と言えど、ある程度の年になって、結婚すれば、自分や家族を守る為、一生懸命働き、時間的にも経済的にも余裕も無く、親の処には中々顔を出せないのが現実であろう。子供も「平素のご無沙汰を申し訳ない」と思い「親は如何しているかな,元気でいるかな」と気にしながら日々頑張っているのだろう。親の方も「子供に迷惑を掛けてはいけない」と、日々我が子の事を心配しながらも、遠慮して連絡を取る事を控える。しかし、親の本音は「いつも子供やその家族と共に生活し、出来る世話をしながら、皆の成長を見守りたい」と考え、願っている様だ。下手すれば、高齢になった親自身が、「子供やその家族の足手まといとなり、迷惑を掛けるかもしれない」と不安になり、「一緒に住みたい」とも言えない様だ。特に高齢になれば心身共に弱体化し、生きる事への自信も生き甲斐も薄れて、全ての面で、先行きに多大なる不安が付きまとう。この事を理解すれば「親の本音と願いは何か」を容易に想像できるだろう。