2018年2月28日水曜日
韓国民は文大統領に失望と危機感?
韓国内では北朝鮮に媚びへつらう文大統領に失望感が強くなったようだ。韓国民の事や選挙公約も無視し、大統領の独断と権力を乱用して、北朝鮮の巧妙な策略にはまり、北朝鮮の権力に媚びへつらう文大統領の行動を見て、韓国の人々は今後の韓国に危機感を募らせている。この事から、多くの韓国民は「大統領にはもはや期待は出来ない、韓国を北朝鮮に売り渡し、崩壊させる」と失望感と危機感を強めている。また自分の手柄を立てる為にアメリカや日本との同盟関係を裏切り、北朝鮮に協力しようとしている動向に韓国民は憤りを示している。「今後の韓国には希望は無い」と悲嘆にくれる韓国民が続出し、「韓国在住の知識人や富裕層の人々は韓国を離れて行く事になるだろう」と見ている人も多いそうだ。「南北統一など絵に描いた餅で、永遠に不可能だろう」と多くの韓国人は感じているそうだ。
2018年2月27日火曜日
北朝鮮の策略に骨抜きにされた文大統領
オリンピックを機に、北朝鮮が 政権運営能力の無い、国際外交に素人の文大統領を最大限に利用しようと、次から次へと高官級の人材を韓国に送り込み、次から次へと様々な要求を出して来ている。韓国の有識者は「北朝鮮の口車に乗って、何でも言う事を聞いている馬鹿な、骨抜きになった能無し文大統領」に嫌気を指し、今後の韓国に危機感、不安感を示し始めている。北朝鮮の金独裁政権が韓国を支配し様とする企みに、文大統領は日を追う毎に飲み込まれて来ている事に危機感も示している。北朝鮮の企み、策略、陰謀に気ずかず骨抜きにされつつある文大統領に対し、多くの韓国民は「文氏は何処まで馬鹿なんだろう」と、批判、不信感、危機感を募らせ、近い内に文大統領を弾劾するべく、大きな動きが起こると見なしているそうだ。韓国民の文大統領打倒運動の発端になる物は「米韓軍事演習の実施をするか、北朝鮮の企みに乗って延期し、北朝鮮の核やミサイル開発の時間稼ぎに協力をするか否次第」だそうだ。如何する文大統領。
2018年2月26日月曜日
文大統領は手柄を立てる事に必死?
多くの韓国民は文大統領を「人気取り政権」「お手柄取りに必死政権」と非難している。更に韓国民は、大統領選の時に公約していた事で何の成果が上げられず、守れず、全く無能大統領であるが故に、北朝鮮との統一で手柄を立てる事に、韓国民の意志を無視して、権力を乱用して全精力を注いでいるそうだ。「北朝鮮に利用されている事にも気ずかず、特別優遇措置ばかりして、北朝鮮の言う事ばかり聞いて、韓国民の事は何も考えていない」と非難噴出であるそうだ。国連制裁決議に対しても特例措置で、国際間の協調を勝手に乱し、オリンピック終了後の韓国の孤立や衰退が心配と言う国民の不安感が増幅しているそうだ。「その内、韓国民の分裂や分断、文大統領打倒運動も起こるかも」と不安感を示す韓国人も増えているそうだ。
2018年2月25日日曜日
オリンピックもいよいよ終幕
平昌オリンピックがいよいよ終了となるが、終幕を喜ぶ人、残念がる人色々な感じ方が有る様だ。世界平和の祭典か、外交の為の手段か、国の経済効果への期待か良く分からないオリンピックと捉えるる人もおり、何とも複雑なオリンピックになった様だ。基本的には、国家繁栄、経済効果、文大統領の手柄の為か、北朝鮮に利用される為のオリンピックか、何の為のオリンピックか分からないと言う事は多い様だ。今回のオリンピックは北朝鮮に文大統領が上手く振り回された大会だった事は世界中が見なしており、韓国内では文大統領への非難が強くなっており、日米政府関係者からも不信感が強まっている。今後の日米韓関係はどうなるか不安材料が強まった様で、何とも平和祭典とは程遠い後味の悪いオリンピックになった様だ。
2018年2月24日土曜日
XX%,半額以下、大幅値下げのお買い得?
商店、通信販売、テレビショッピングなどで、大幅値下げのお買い得商品として、商品販売の広告、勧誘で消費者の購買意欲を掻き立てようとしているのを、多く見かける。消費者はこれらの宣伝をどの様に受け止め、見ているのか良く分からないが、私は疑り深いせいか「元々の値段が大幅値下げしただけの価値しかないんじゃないの?」と見るのである。本来商売という物は、自分が自腹を切り、赤字にしてまで商品を売る商売人などいる筈が無いからである。「半額」と言えば、「大幅値引きではなく、本来の元値が半額の値段じゃないの?30分以内の注文なら半額、何十パーセント値引き」と言うけれど、元々の値段がそれなんじゃないの?」と考える人は居ないのだろうか?そんなに大幅値引きする商品は、本当に信用できるのか?とも考えてしまうが、如何だろう?「安物買いの銭失い」と言うけれど?宣伝、広告通りに「お買い得」として本当に信用して良いの?
2018年2月23日金曜日
一日の野菜摂取量350g?摂取しないとどうなるの?
一日の野菜摂取量350gと言う言葉をよく聞くし、商品販売広告でもこのような言葉が良く引用されている。いつ、何処で、誰が、何の根拠をもとにこの様な事が決まり、一般に流布し、浸透する様になったのだろう。私はよくマスメディアで用いられる商品宣伝広告のを見る度に、「何を根拠に?」「誰がどの様な医学的調査研究分析の結果に元ずいてこの様な事を商品宣伝広告に用いられる世になったのだろう」と疑問に感じざるを得ないのである。とかくこの世の中分からない事だらけであるが、マスメディアで表示される事柄の真偽、信憑性はどれ程信頼の正当性、価値が有るのだろう?一日の野菜摂取量を取らなかければどうなるのでしょうか?病気になるの?早死にするの?350gの野菜を取らなくても健康で元気にしている人沢山いるけど?皆さんはこの350g根拠をご存知ですか?
2018年2月22日木曜日
素晴らしき人間でこの世は溢れている
この地球上には文化、芸能、スポーツ、技能、学問、数多き領域等で、「道を極めた人々」で満ち溢れている様だ。有名、無名に関係なく「自分の選んだその道を究めた人々」が沢山この世には存在し、正に尊敬に値するし、「我が道を究めらえた人は本当に幸せな人」と言えよう。自分の極めた道で有名になり、多くの人々から注目される人も居れば、多くの人々に中々注目される機会に恵まれない人も居るが、有名、無名、尊敬の対象になる、なら無いに関係なく「我が道を究めた人」は、この世の宝と言えるほど尊敬に値する。これ等の「その道を究めた人」と言うのは、「生まれながらの天才的才能」と言うより「日々のひたむきな努力により、その道を究めた人々」なのだろう。人間がこの世に生まれ、「自分の道を究められた人々は、日々ひたすら努力を重ねられた人々で、本当に素晴らしい」と考える。人間本気で一点集中型で努力に努力を重ねれば極める事が出来るのかもしれない。人間日々弛まぬ努力が必要と言う事ですね。
2018年2月21日水曜日
人間が地球の破壊者?
日本のみならず世界中が消費活動、販売活動が盛んであるが、世界がそれだけ金銭的にも豊かに成って来たという事だろうか?その反面世界中の資源が不足の一途をたどり、地球上が年々くたびれ始めており、異常気象も予測できなくなって来ている。異常気象で人間生活が脅かされつつあるにも拘らず、金稼ぎに必死の企業は、商品開発や宣伝の手が緩む事は無い。機器の開発や販売、消費活動の激化、人間の日常生活の便利さ、人間長寿の為なら自然破壊、資源の消耗、空気汚染、人間居住の改善と利便性には犠牲も当然と、世界中の企業経営者は考えて、あらゆる手段や媒体を通じて商品販売合戦をしているのだろう。これ等の事を考えると、人間は利便性、生活の快適さを求めつつ、結局人間自信が自分の首をどんどん占めているように思える。人間は本当に賢い文明的な生物、動物なの?
2018年2月20日火曜日
宣伝広告は何処まで信用できる?
テレビ、雑誌、新聞、コンピューター上、種々雑多で無数と言えるほどの商品販売宣伝が「これでも買わないか」と言わんばかりに宣伝しまくっている。消費者はこれらの宣伝広告をどの様に見ているか、無視しているか分からないが、この様な活動には全く規制も無い様だ。宣伝広告の中では「業界ナンバーワン」「売上ナンバーワン」「人気ナンバーワン」とばかり、自社製品の優秀さを述べているのだろうが、「何を持ってナンバーワン」なのかも分からない。これ等の宣伝を信用して購入する消費者はどの位居るか分からないが、私に言わせれば、商品を販売する為に費やすには、余りにもエネルギー、資源、金の無駄使いとしか思えない。何処の会社も自社製品を「ナンバーワン」と言いたい気持ちは分からないわけでもないが、この様に言ってる宣伝広告は何処まで信用できるのだろうか、正に疑心暗鬼である。
2018年2月19日月曜日
日々の生活すべてが勉強
勉強と言えば、机に向かって、教科書や参考書とノートを開いている姿を思い起こす様であるが、人間はこの世に生まれた日から、日々の生活を送りながら、親を初め、友達、居住環境、人間環境、社会環境、日々の種々雑多な経験から、莫大な量の勉強をし学んでいるのである。むしろ学生時代の机に向かって、学校の授業で学ぶ事は、受験勉強に役立っても、日常生活にはそれ程役に立たない。人間としてこの世で生きる上で大切な事柄を日々の実践的に必要な事柄を勉強する事を学校教育でも実践、強化しても良いのでは?一般的に「人間一生勉強の連続」と言うが、机に向かって試験の為に学ぶ事より、人間が生きる上で実践的で、重要なの事を学ぶ内容の事を言っている様だ。学校で学んだ事は、卒業すれば直ぐに忘れてしまうが、学校以外で学ぶ事柄は、速戦、実践的で、経験を伴う勉強で、実に役立ち貴重である。学校での勉強もこれ位貴重であるべきではないだろうか?
2018年2月18日日曜日
点を取らせない為の試験?
試験はいろんな種類の試験が有るが、日本で実施される試験の多くは「選抜試験」と言う事で、試験の点数を取らせない為、試験で落とす為の試験と言われている。その為、試験問題の内容が、いわゆる「ひっかけ問題」「間違いを引き出す為の問題」が多く、素直に問題を解いていくと、間違いとなる事が多い。学生時代の実力試験、中間、期末試験なども、結構「ひっかけ問題」が多く、満点を取る事は、中々至難の業である事が多い。アメリカの試験は基本的に、基礎的な事、シッカリ知識として将来役立つ、身に付けて欲しい事を問題で、学習者に自信を与える問題とし、「ひっかけ問題」「陥れ問題」はほぼ皆無である為、素直に問題を解いて行けば、満点もそれ程難しくない。この様な所謂ひっかけ問題や陥れ問題に常に接して居ると、人間的に、心理的に「疑り深く、人も中々信用しない、心理的な歪曲」を起こしかねないので、本当に教育的な試験問題とは言い難いそうである。試験問題はこれで良いのか?
2018年2月17日土曜日
「覚える事、暗記が苦手」と言うけれど
学生がよく「覚えるのが苦手」とか「暗記が苦手」と言う学生は結構多い。確かに覚え、暗記する事は大変であるが、これは「慣れ」が大いに関係ある。初めから「覚える事や暗記が得意な学生」はそれ程いない。何度も繰り返し学習している間に覚えたり、暗記できる様になるのである。その事から、「暗記、覚える」と言う事は反復学習、反復練習が求められる作業の様な物と言える。それ故「暗記が苦手、覚えるのが苦手」と言う学生は「暗記出来るまで、覚え切るまで反復学習をしていない」と言う事になる。人間は「覚えられない、暗記が苦手」と言う「マイナス思考の思い込み」を排除し、無心にその気になって覚えれば、必ず覚えられる事である。本当に覚える事が苦手なら、人間生活は覚えた事の蓄積と活用なので、覚えられなければ人間生活を営む事が出来ない筈である。「不得意、苦手、出来ない」と言うのは、思い込みや「覚えるまで学習して居ない、学習不足」と言える。
2018年2月16日金曜日
私はxxxが苦手、不得意」と言うが,,,,
中学生や高校生は学校の試験の結果で、良い点が取れれば得意科目、好きな科目、点数が悪ければ不得意科目、苦手科目、嫌いな科目と決めつける傾向にある。しかし、その生徒の持つ能力は試験の点数だけで測る事は出来ない。学生時代に不得意、苦手な領域を将来の自分の仕事にする人もこの世には沢山いる。学生時代の得意、不得意科目は実に当てに成らない物で、不得意、苦手科目は多くの場合、テスト結果を見て、自分で苦手、不得意科目と自分の能力を決めつけ自己暗示にかけている事が多い。悪い意味での自己暗示と自己洗脳で、自分で思い込んでいる科目の勉強や復習を敬遠して、益々試験で点を取れなくしている事が多い。学生の言う不得意、苦手科目を克服する為には、試験の結果で判断、決定する自己暗示、自己洗脳を辞め、「私に不得意科目は無い」「自分が本気でやれば出来ない事は無い」とプラス思考で良い意味での自己暗示、自己洗脳する事が大切である。
2018年2月15日木曜日
何の為に勉強する?
学生は日々何の為に勉強しているのか?」と考えた事はあるのだろうか?一部の小学生と大学生は別として、殆どの中学生や高校生は「試験の為、進学受験の為に勉強している、又は勉強させられている」と言う様に思える。本来勉強は自分が本当に勉強したい事を見い出す為、将来自分が望む仕事を見つける為の基礎学習、知識の蓄積、又は資料、情報集めの為の勉強ではないだろうか?アメリカでは「勉強は日常生活に活かせ、日常生活に密着した内容を学習し、身に付ける為で、受験の為、進学、試験の為に勉強する事は別領域」と言われている。日本の中学生や高校生は連日進学予備校化した学校で勉強している様な物で、受験には役立つが、日常生活に密着して、活かせる内容の学習は大変少ないのは実に残念に思える。英語を何年も勉強していても、社会人になっても日常生活に必要な読み、書き、聞く、話すも十分満足の行く役割を果たす事は出来ないが、これは何の為の英語学習なのだろうか?
2018年2月14日水曜日
日々の学習は、自分の為
本来学生は喜んで勉強する者は圧倒的に少なく、親や教師や周りの人から言われて、渋々学習行為をする者が多い。しかし、勉強する事で、自分で知らなかった事が分かり、知識を得られ、問題解決能力を得る楽しさを知り、勉強の面白さ、楽しさを経験し、自分の学習法を見い出した学生は、自主的に楽しく学習活動を進めて行く。学習する教科も好き、嫌い、得意、不得意が有る様で、「好き、得意教科」は自分から進んで学習するが、「嫌い、不得意科目」は自主的に勉強しようとしない。むしろ、嫌いだから復習も教科書を開く事さえしなくなる為、益々不得意になってしまう。嫌い、不得意である教科は、自分で「嫌い、不得意、出来ない」と自分で「不得意意識」を洗脳、思い込ませている事が多い。嫌いでもすべき事はしなければならないのだから、考え方を「よし、やってやろうじゃないの」「どんな役に立つ事が書いてあるかな」などプラス思考で、嫌いな教科も受け入れれば、多少変わる筈である。勉強は好き、嫌いに関係なく、自分の為にやる物である事を忘れてはならない。
2018年2月13日火曜日
進路決定する時は,,,,,,
高校進学、大学進学の進路決定する時には、ややもすると成績次第、知名度、有名大学合格率、就職率などの様だが、学生は自分には余り何も求めない様だ。日本人は名声を好む人種の様だが、進路は学校名、評判、知名度で第一に選択する事ではないだろうと考える。「中学から高校へ、高校から大学へ進学する時は、学校の知名度や評判ではなく、自分が進学したその学校で、何をどれだけ一生懸命勉強するかである筈。」夢を膨らませて進路決定し、合格したところで、入学後、飲み会、バイト、クラブ、カラオケ、スマホ、パチンコに明け暮れ、真剣に勉強もせず有名大学を卒業しても、資格試験や国家試験に不合格なら只の人。無名大学卒でも資格試験や国家試験合格なら成功者である。結局進路は如何であれ、自分の入った学校でどれだけ真剣に、必死で勉強するか否かで学校の価値が決まるのであって、いわゆる名門、有名校と言う評判だけでは全く信憑性も無く、当てにも成らない。名門校を狙って合格しても、「勉強する本当の目的、目標と学修姿勢が無ければ何処に進学しても意味は無く、学校の評判で進路決定するのは賢い進路選択」とは言えないのでは?
2018年2月12日月曜日
国家試験に落ちれば、只の人
高校、大学と進学する子を持つ親は、とかく有名高校、有名大学に合格する事を心から願い、日々頑張っている様だ。大学に進学する親子に「何故大学に行きたいのですか?大学で何を勉強したいのですか?」と尋ねると、時々明確な答えが得れず、「何となく、友達や周りの人も皆大学に行くから、就職に有利、就職して少しでも給料が高いから、結婚する時の条件」等、「そんな理由で大学行くの?」と疑問を感じる答えが結構ある。大学に行くなら「何を勉強したいか、何の為に行くのか、大学に行かなければならない進路、職業に就く為か?」等、最低限明確に決意して欲しいものだ。高校時代に一生懸命勉強して、有名大学に入った所で、真剣に勉強もしないで、国家試験に不合格なら、大学に行った意味も無く、只の人になってしまう。只の人になる為に高校受験、大学受験の為に、今まで一生懸命勉強して来たのだろうか?
2018年2月11日日曜日
夢、希望と目的
子供達や大人も「私の夢、我が子の夢、希望は......」と言うけれど、夢や希望は「夢は見るもの」「希望は抱くもの」で実現しようと努力する必要性はそれ程必要性は無く、「運が良ければ実現出来る」程度に様に思われる。一方「目的や目標」は、実現する為に自分が努力する為に設定し、目的を達成する為の努力が求められる。私はよく学生や子供達には「夢を見、希望を持つ事は良いかもしれないが、それよりも必ず達成する為の目標や目的を持ち、計画し、実行しなさい」と伝える。「夢や希望はどちらかと言えば、手の届かない事、物が多いので、それよりも自分の努力で達成できる手近かな目標、目的を持つ事が大切」と思うが間違いだろうか?
2018年2月10日土曜日
自主性、自立心の無い学生は、自己管理も困難
日本の親は欧米の親に比べ、我が子に対する姿勢が過保護に見られている。「日本の文化」と言えばそうも言えるが、親の子供に対する姿勢、躾、世話の仕方が、いわゆる「かゆい所に手が届き過ぎ」の為、子供達の成長過程から見ると「自主性、自立心が育たず、好ましくない」と見ているそうだ。更に「親は子供が自分で出来る事、しなければならない事でも、殆どが親が管理し、処理してしまう為、いつまで経っても自立、自己管理が出来ない。その結果、日本人はいつまで経っても子供っぽく、幼稚に見える」と辛口コメントが多い。「自主性、自立心が育たなければ、当然自己管理が出来る筈も無いし、計画性、問題処理能力、判断力や決断力も育ちにくい」と付け加えている。「子供に対する親の責任、愛情、保護や援助は大切であるが、行き過ぎる愛情や保護は、子供を無能力化しダメにする可能性が高い」と警告を発する心理学者もいる。日本の親は一度真剣に親の役割、責任、子供との接し方な等考えてみる必要が有りそうだ。
2018年2月9日金曜日
学生に求められる学習法
今の子供たちは、毎日クララブ活動、習い事、勉強とやらなければならない事が多い様に感じる。勉強に関して言うならば、誰かが傍に居て、学生の学習の様子を見ているか、指導者が傍に居て、色々指示しなければ学習が進まない。何をどの様に勉強すべきか自分で考え、計画して勉強する事が苦手な、即ち自立して居ない学生が多い。所謂自分の学習に対し自立し、自主的に自分のするべき学習を計画的に進める事が苦手の様だ。本来学習は自分の為にする事であり、親や教師に怒られない為、友達に遅れを取って馬鹿にされたり、笑われない様にする為の学習行為ではない筈であるが、どうも最近の学生の学習は、他人の目を異常に意識し過ぎ、本来の自分の為の勉強とは異なっているように感じる。その為、学校でのテストではそれなりの点数は取れるが、本来の実力に直結して居ない。勉強は自分で自主的に計画し、実践して行く事が求められなければならないと考えるが、如何なもんだろうか?
2018年2月8日木曜日
子供のお手本は親
子供達は置かれた環境の中で、色々な経験をし、その中から多くの事を学ぶ。その中でも圧倒的に多くの時間を過ごすのは、親子、兄弟、姉妹のいる家の中である事は言うまでも無い事である。と言う事は、子供は親を自分の生き方を学ぶ現場であり、多くの事を見本として学んでいくのである。よく「子供は親の後姿を見て学ぶ」と言うが、正にその通りで、親の何気ない行動、振舞い、言葉使い、人の扱いなど、学ぶ事は数知れない。
また子供が成長して、自分の伴侶を見つけ求める時は、自分の親と良く似た人を選ぶだそうだ。親は子供に対してする家庭教育は、決して軽んじてはいけないし、子供は何気なく親の姿を見て、学んでいる事をシッカリ認識すべきであろう。
また子供が成長して、自分の伴侶を見つけ求める時は、自分の親と良く似た人を選ぶだそうだ。親は子供に対してする家庭教育は、決して軽んじてはいけないし、子供は何気なく親の姿を見て、学んでいる事をシッカリ認識すべきであろう。
2018年2月7日水曜日
親は子の為一生懸命、でも子は,,,,,,
子を持つ親は、我が子の今、将来の為、一生懸命、身を粉にして必死に頑張っている。我が子の将来の事を考えるがゆえに、ついつい「勉強した?」「宿題やった?」「忘れ物ない?」等と、必要以上に心配する傾向にある。一方色々言われる子の側にしてみれば、「いちいち、細々とうるせーなー」「分かってるよ、ちゃんとやってるよー」「心配しなくても大丈夫だよー」等と、親には反抗的に見え、相互の意思疎通や相互理解は中々難しい様で、親の努力、配慮、心配には報われないだ。これ等の事はどの家庭でも起こっている出来事の様で、親もストレスを感じているらしい。親の子に対する心配は、子供がいる限り永遠に継続して行く様で、親の宿命かな?でも親子共々このストレスから解放されたいよね。親は子供を信じ、多くの事は自己責任として本人に任せ、必要以上に子供の事を心配しない、色々言わない様にすれば解決するかも。親が幾ら心配して色々助言,注意しても、中々思い通りには行かないしね。
2018年2月6日火曜日
今の子供たちは頑張り過ぎでは?
今の子供たちの生活様式を見ていると、「小学生、中学生なのによく頑張るな~」と感心してしまう。自分がこの子と同じだったら、この子の様に頑張れるだろうか?」と考えた時、「ちょっと無理だな~」と感じてしまう。「時代の変化」と言われればその通りかもしれないが、それにしても「子供たちの頑張り、親の期待感は少々行き過ぎではないか」と感じてしまう。学校から帰って来ると、宿題、課題を処理するのに、それなりの時間がかかる。塾通い、習い事をすれば、それを処理するのに結構時間もかかるし(我が家の子供や孫は習い事は一切していないが....)、自分が好きな事、やりたい事などに過ごす時間は有るのかと疑問に思う事も多い。子供達の行動様式は全て親に決められ、子供達が自主的に計画、行動し、自立する事も中々出来ない様に思える。親は子供の将来を考えて貢献して居るのだろうが、子供の成育はこれで本当に良いのだろうか?「よく遊び、良く学べ」と言う言葉は昔の事か?
2018年2月5日月曜日
子供達の楽しみは何だろう?
大分以前から、元気に外で遊ぶ子供たちの姿は見られない。近年誘拐事件や交通事故などで、「外で遊ぶことの危険が多くなってきている」と言う事も有るかもしない。今の子供達は何をして遊んでいるのだろう?子供たちが外で遊んでいないのは、塾や習い事に通う事、勉強で忙しく、遊んでいる暇など無いのかもしれない。もしそうであれば実に可哀想な事と言える。昔は「子供の仕事は元気に遊ぶ事」と言われ、私も小さい頃は、学校から帰ると「外で元気に遊んで来い」と良く親に言われた物である。今この様に言う親はそれ程いない様で、学校から帰って来ると「ほら、塾に行く時間だよ」「学校の宿題をしなさい」とか勉強を強いられる事が多いようだ。学校で勉強して疲れて帰って来て、家に帰っても勉強、習い事、塾通いでは、子供達の日々の生活も楽しくないよね。私は我が子や孫に言う事は「よく遊び、良く学べ」で、「ダラダラ長時間勉強したり、勉強する振りをするのではなく、短時間で効率的な勉強をし、時間の空きが有れば自分の好きな事をどんどんやりなさい」と伝えている。
2018年2月4日日曜日
学校は楽しくない」と言う学生
私の時代では、学校はそれなりに楽しく、結構喜んで通学していたが、今の子供達にとって、学校をそれ程楽しい所ではなくなっている様だ。昔の学校へ行く楽しみには、学校給食、友達関係、遊び、教師との関わりなどあったが、今の学校では給食も結構不味い物が有ったり、友達関係もいじめられ無い様に、仲間外れにならない様に気を使い、教師との関わりも何となく薄れてきている様だ。勉強が出来なければ、教師からどやされたり、友達に馬鹿にされたりで、神経がすり減ってしまう今の学校、学校生活を楽しむ事も出来なくなっている様だ。「学校へ行かなければいけないから仕方なく行く」と言う子供達も少なからずいるそうだ。学校に行けば「勉強、成績、部活、人間関係に気を使い、学校が終われば塾通いや習い事、落ちついて好きな事をしたり、子供らしい遊び、生活を楽しむ事など出来なくなっている」と言うのが子供たちの本音の様だ。今の学校教育、生活、何か歯車の食い違いが起こっているのでは?一度子供、学生の立場に立って大人は考える必要が有るかも?
2018年2月3日土曜日
学校の部活は異常では?
中学生、高校生、(一部には小学校の高学年)は学校の授業終了後、部活で頑張っている生徒も多い様だ。「これが青春」と言えばそうかもしれないが、今の学校の部活は、土曜、日曜、祭日、夏休み、冬休み、春休み、全く関係なく、試験期間中を除いて、ほぼ年中部活をやっている様に見える。学校では学習が大事か、部活が大事か良く分からない。部活で常に時間を取られている学生は、いつ勉強するのだろう?部活をする学生は、部活終了後塾に行って勉強する者が多いそうだが、これが中学生、高校生が学校教育の中でやるべき姿なのだろうか?私には異常な行動にしか見えない。心身共に大事な成長期に、部活部活で追いまわれ、塾通いをする事が、学生の取るべき本来の教育行動、時期なのだろうか?指導する学校側も、部活でそれなりの成績を上げないと、指導の成果を問われる為、指導教師も必死なのかもしれない。生徒が学校の成果や名声取得の為の犠牲にされていないだろうか?
2018年2月2日金曜日
学生は勉強法が分からない
日本の小、中、高生は年中、常に勉強して居る様に見ええるが、その割には結果が出ていないし、学習内容の理解、知識が一時的(試験の時だけ)で、学習内容の知識が持続しないし、その為学習した事を応用も活用も無い様に見える。この原因は、勉強と言っても、学習の目的と意味の認識が薄く、自分で考え、計画、実践しおらず、学校からの宿題、課題、塾からの宿題、課題を処理する事が勉強と誤解しているせいであろう。また学習するにも全く自立しておらず、誰かが傍で見ていないと学習が進まない。即ち「勉強する」のではなく「勉強させられている」と言う事で、これでは学習者本人が「何を何の為に勉強するかと言う認識も無く、いくら勉強しても力は付かないし、知識にもならない。学生は勉強、学習に対して自立する必要が有ると考えるがどうだろう。
2018年2月1日木曜日
努力なしに成功は望めない
本来人間は怠慢な生物なのかもしれない。人間は如何に楽して、如何に良い結果を得られるかを期待する。いつも我が子や孫には「人並みの事をやっているのは、努力じゃない」「人並みの努力で、人並み以上の結果を得る事は不可能」「良い結果を出す人は、必ずどこかで人並み以上の努力をしている」と言い聞かせている。この事は勉強ばかりでなく、運動、芸能などありとあらゆる事に共通する事であるが、中々行動する事は困難である。この困難を克服し、努力した者が人並み以上の結果を出し、満足感、達成感を得られ、人間的成長も得られるのである。安易に手に入いる物には価値のある物は殆ど無いし、手に入れたとしても、それは偶然か一時的な物であると言える。
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