2021年12月30日木曜日

いじめで犠牲者を出すとは本当に学校、教育現場か?

 学校での虐めはいつまで経っても無くならない。学校での虐め問題が報道される事が長期間続き、年々残酷になっているように感じる。安全で安心な環境で学習活動を進めるべき学校教育の現場で「いじめ」とは一体どういう事なのだろう。学校関係者は自分の学校では「虐めなど絶対無い」と考え教育活動を進めている学校と「3人以上の人の集まる所では虐めがあり、この学校でも必ず虐めがある」と考えて教育活動をするのとでは大きな違いがある。前者の学校の場合は、実際に虐めがあっても、見て見ぬふり、気ずいても気ずかぬふりで、何があっても学校側は虐めの存在を認めないし、教育委員会も学校側と歩調を合わせ、虐めを認めない。最終的には第三者委員会で「虐めの実態が証明されるという、学校教育現場、教育者としても実に醜い様相である。学校も教員も自分の関係している現場で虐めなどあって欲しくないし、実際に虐めがあっても認めたくないだろうが、我が子の命を奪われた家族は学校に我が子を通わせて殺されたと考え、一生後悔し続けるだろう。また虐め行動により将来の可能性を秘めた学生の人生を狂わされ、可能性を奪われたのである。学校教育の在り方、虐めの問題は人間の一生や可能性を左右する重大案件故、全ての人が真剣に考え行動すべき深刻な問題だ。学校、教育関係者、虐めをする者、いじめをする子の親は虐め問題、虐められる側の人間をどう考えているのだろう。老若男女、学校に限らず社会人でさえ、他人を虐めて快感を得る人間の神経と人間性を疑ってしまうが、このストレス社会でのこの現象は永遠に消えず解決出来ないのは、人間の愚かさと醜さか?


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