2017年1月27日金曜日
いじめの被害者と加害者
「いじめや虐待は決してあってはならない事であるが、人間が3人以上集まれば、必ずと言っていいほど、いじめは起こる」と言うのが、人間社会の病であり、現代病であるようだ。特に学校などの教育現場において、学習する為に通う教育機関で「いじめ」が起こる事は、実に悲劇であり、嘆かわしい事である。今の学校で生徒は「いじめられたくない、いじめたくない、いじめに関わりたくない」と神経を使い、授業や学習活動に集中できない学生が多い様である。いじめる側、即ち加害者は、問題が表面化すると、必ず「いじめではなく、遊んでいただけ」と言う。しかし、いじめか否かは、いじめられる側、即ち被害者の判断で決まる。如何なる言葉や態度でも、「いじめられた」と感じれば、そこに、加害者と被害者の関係が生まれる。いじめる側は、問題が表面化した時に、自分の責任、罰則、賠償、𠮟責などから逃れる為に、決して「いじめを認める事はない」と言える。とかく犯罪が起こった時には、加害者は必ずと言えるほど、責任逃れの為に、噓を言ってまでも、罪を認めない、罪から逃れ様とするのが常である。人間社会においては、学校であろうと、職場であろうと、大人社会であっても、色々な形で、いじめは永遠に無くならないと考え、周囲の人がシッカリ目を開けて、防止する以外には方法は無いのでは?人間は例外なく、全てが「自己中心=人間の本能」「人間は支配欲が強く、全て自分の思い通りにしたがる動物である」が故に、被害者と加害者が必ず生まれるものである。何と嘆かわしい世の中なのだろう。
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