2017年1月29日日曜日
中学、高校の教育は、受験のため?-学校教育の本質は何?
日本の教育は、過去には世界的にも「充実した素晴らしい教育」と評価が高かく、「日本の教育を見習うべき」と、日本の教育制度を参考にし、模倣する国は多かった。その後、世界の多くが、「日本の教育は受験の為の学習で、本来の教育活動とは異質で、教育目標から逸脱し、教育のあるべき本来の姿とは思えない」とすっかり評価を下げてしまった。所謂、「中学の教育は、高校受験の為、高校教育は大学受験の為の教育で、夫々が予備校化している」と、見方が変わってしまった。実際文科省の中学校、高校の教育目標は「受験の為」とは述べてないが、各学校の教育運用は、完全に「受験の為の予備校」と言えるかもしれない。目標の高校や大学に入る為の、受験テクニックの教育に終始し、特に高校では、過重負担の課題、宿題、学習時間を生徒に強いて、学生には自分の将来や学習法を考え、自分の好きな事に対する学習や研究の時間も無く、貴重な青春時代も、ひたすら学校から与えられ、指示された勉強をする事を強いられる。教師の指示通りに学習活動を進めても、最終的に「受験校に合格出来なければ、勉強が足りなかった自分の責任」と、突き放され、生徒は路頭に迷う事になる。「学校、教師、指導には一切責任はない」との姿勢。これが日本の学校教育の現実であるが、学生や親はこの様な学校に我が身、我が子を委ね、評価、歓迎しているのだろうか?また、親は自分の大事な子供を、学習活動が受験の為だけに商戦を絞った学校に任せる事が出来るのだろうか?私にはこの様な本来の教育から逸脱した、予備校化の学校には、大事な我が子を預ける事は出来ない。
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